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カテゴリー「音楽芸術」の検索結果は以下のとおりです。

前奏曲(プレリュード)

前奏曲(プレリュード)は、元々は弦数の多いリュートの調弦確認と指慣らしのために、演奏の前に和音を中心に楽器を鳴らしてみたものが記譜されるようになったものだそうです。

そのため、演奏の基本は、幅広い速度で和音を良く響かせるのが前奏曲です。そして、曲の性格上テンポ・ルバートで比較的自由に演奏します。

当初、リュートの弦数が多くなった時代(バロック時代)には、主体となる曲の前にプレリュードが演奏され、その後に本曲の演奏という順番でした。それが、古典派を経てロマン派になると、自由な和音の繋がりを楽しむ小品としてプレリュード単体で作曲演奏されるようになりました。

 

様々なプレリュードがある中で、オーケストラ曲では個人的にはリストのプレリュードが好きです。

可能なら総譜をめくりながら聴くと良いですね。オーケストレーションはラベルが良く知られてますが、響きの織りなしは、どうやらリストに軍配が上がるようです。

https://www.youtube.com/watch?v=G5aITdUMADo

このDr.カール・ベーム1943年ベルリン・フィルの動画は残念なことに一部だけです。フルトヴェングラー1954年のウィーンフィル(⇒mp3音声のみ)も凄まじいですね。圧倒されます。

その他、リストの前奏曲の全曲演奏は ⇒ こちらの動画。ベストを尽くした楽団員ひとり一人の勝利が感じられます。

ロマン派とハンガリー音楽

先ずロマン派の流れから生まれた「民族主義」についてです。

ウィーンならウィンナーワルツやウィーン民謡、フランスならシャンソン、スペインならフラメンコ、フィンランドのシベリウスはフィンランディア、モルダウの曲で知られるスメタナの「わが祖国」、ドボルザーク「新世界より」など等を生み出すことになります。

北アメリカではネイティブアメリカンの根絶やしにより文化の復興が遅れ、祖国を失った人々の定着を待ってジャズやミュージカルが起きるのを待つことになったようです。

余談ながら、ミュージカルがヒットラーから逃れたウィーンのユダヤ系オペレッタ作家の渡米の影響を受けたことはあまり知られてないようです。というか、この話題はタブーですね。

https://youtu.be/nZhY1KEKFbM
 

さて、上記のYouTubeはコダーイやバルトークが円筒式蓄音機で集めたハンガリー民族音楽よりも後の時代の聞きやすい収録を選びました。このような民族音楽の追求と研究もロマン派の流れからの影響と考えられます。

ヨーロッパ唯一のアジア民族とも言えるマジャール民族は、ルネサンス時代のマーチャーシュ王の頃を最後に、民族自治を失ってしまい、19世紀後半のロマン派時代はウィーンを本拠地とするハプスブルク家の統治が続いてました。

もちろんドージャ(1470-1514)やラコッツィ(1676-1735)、コシュート(1802-1894)による民族独立の動きもありましたが、ハプスブルク支配の壁は厚く、弾圧と鎮圧の繰り返しでした。

 

ハンガリー建国は7つの部族を率いてきたアルパードによるとされています。896年のことですから日本は平安時代でした。民族統一は1000年頃のことで、キリスト教改宗でパッサウのシュテファン寺院で洗礼を受け、シュテファンと名乗るようになったイシュトヴァン王によります。

ハンガリー画家ムンカーチ「荒野の嵐1867」

マジャール族がアジアからの移動民族だったことは、蒙古斑だけでなく言語学においても証明されてます。

アブミを使って馬を操ることのできたマジャール騎馬軍団はレヒフェルトの戦い(955)でドイツのオットー大帝に敗れるまで無敵で、ドイツからオランダ方向、さらにパリ(シテ島時代)を滅ぼし、ローマを蹂躙したことは、それぞれの国の歴史であまり触れたくない事実らしいです。ウィーンにハプスブルクが君臨する数百年前のことでした。

当時、ヨーロッパ人がマジャールを見たときには殺され滅ぼされたことから、ヨーロッパ史ではゲルマン民族同様に野蛮な民族として扱われることが多いようです。

当初はどこの誰か分からなかったことから、黒海の北、現在のウクライナあたりの勇猛果敢な「10本の矢」と言われた民族だと考えられたそうです。

マジャールを10本の矢、つまりオン・オグール ⇒ オノグル ⇒ ウンガル、そしてハンガリと呼ぶようになったことは、歴史学者には良く知られた話のようです。 

19世紀後半のハンガリー画家ムンカーチ
ハンガリー平野のマジャール民族。ムンカチの絵

音楽においてもロマン派の民族主義の影響からハンガリー民族音楽についての本格的な研究が始まります。もちろんバルトークとコダーイです。ちょうど円筒式蓄音機の発明もあり、今ではYouTubeでも聞くことができます。

ハンガリーにはエジプシャンと言われたジプシー民族がヨーロッパで一番多いことから、ハンガリー民衆音楽にはジプシー音楽の影響が見られます。ジプシーは(さ迷い歩く)ウォーカー、ドイツ語なら(ヴァルカー)ワルカー等と呼ばれ、手先の器用さを活かしたミュージシャンや鍛冶屋や手工芸職人が多く居たことも知られてます。

ジプシーは、日本で包丁研ぎが村々を回って来るのを待ったのと同じように、ヨーロッパでも重宝されていたようです。特に領主たちにとっては日々の生活に小さな楽しみをもたらした軽業師やミュージシャン、それから刀鍛冶は権力の維持に必須でした。これが弱小民族のジプシーが存続した理由だったと考えられます。

ロマン派時代にはアジアの異国情緒を求めた結果、ウィーンで活躍し楽友協会の理事を務めたブラームスの「ハンガリー舞曲」だけでなく、ヨーロッパに定住したほぼ唯一のアジア系民族ハンガリー音楽に注目が集まります。

ハンガリー平原の井戸(マルコー・カーロイ1858)

ギターにもハンガリー風の練習曲が見られますが、農耕民族には見られない騎馬民族の3拍子であったり、3千キロもの距離を流れるドナウ川を挟んで広がるヨーロッパ最大のハンガリー平野地帯、大平原や少平原を移動するマジャール族気質が感じられるのは興味深いです。

ロマン派の影響ですから、馬で移動する人々の三角テントでの生活、ハンガリーのパンノニア気候は温暖で乾燥した風、その熱風対策と乗馬の都合から男も長いスカート、その白いスカートにはハンガリーの鮮やかな民族刺繍が施され、地平線の彼方まで平野が広がる景色の中で口ずさみ、かがり火を囲んで楽しんだのがハンガリー音楽の源泉です。

高崎守弘

グレゴリオ聖歌

グレゴリオ聖歌の特徴は「無伴奏」「単旋律」「ラテン語」です。飾りっ気の有無以前に、華やかさとは無縁の存在です。

グレゴリオ聖歌発生時の西ヨーロッパは、巨大建築なら東ヨーロッパビザンチン帝国繁栄の裏付けとも言える大きな丸い天井を支えるペンデンティブ (Pendentive)ドームによるギリシア十字様式を含む中央集中型が主流でした。

その他の多くの建造物は、元々ヨーロッパに広がっていた原生林の開墾で入手した木材で天井を形成した長方形の建造物でした。

ヨーロッパにおける原生林の開墾は、もっぱらベネディクト派やシトー派に代表される修道会の布教活動を伴った動きによります。

発生当初のグレゴリオ聖歌は、巨大な石像空間が珍しかったことを想像すると、せいぜい数十メートル規模の空間に響くことが多かったことが想像されます。

後に生まれるロマネスク建築やゴシック建築のような巨大な石造建築とは空間の大きさも音の響きも異なる環境でした。

石灰岩を積み上げた左右の壁の上に梁を乗せ、その上に木造の天井と屋根を構築した建造物です。または、フランスなどではグレゴリオ聖歌にガリアつまりケルト音楽の影響が残っていることから壁と天井共が木造だった可能性もあります。

 

1億年ほど前に海中から隆起して生まれたのが現在のヨーロッパ大陸ですから「ヨーロッパは石灰のプレートの上に乗っている」という表現は言い得て妙です。

海洋プレートが沈降しマリアナ海溝が生まれたのと同じような動きですが、ヨーロッパの方は下に潜り込むのではなく隆起したわけです。これをアルプス造山運動と言うそうです。そのため、今でも隆起しているイタリア半島の南部には活火山があり、度々地震に見舞われます。情け容赦のない、しかし、どのような毬よりも美しい地球の息遣いの姿です。

https://youtu.be/Mo8upbtGKNk

グレゴリオ聖歌は、長年ローマ法皇グレゴリウス1世が編纂したとされ、呼び名にもなってましたが、最近は、カロリング朝時代に成立という学説も出てます。いずれにせよ、グレゴリオ聖歌が西洋音楽の源泉であることに異を唱える学者は居ないと思います。

それ以前は祈祷時に鳴らされた単純な音、世界最長の歴史文化を持つ日本なら、たとえば銅鐸を鳴らしたり鈴を鳴らしたり笛を吹いたり、唸ったり程度で西洋でも似たりよったりだった筈です。もちろん、そのようなものが芸術音楽としての西洋音楽に繋がるかどうかについては、疑問があると思ってます。

そうでなければ、ターザンの叫び声のような、いわゆる信号音としてのヨーデル程度でしょう。ちなみに車の騒音の無かった古代ローマ時代はヨーデル信号で数キロの距離を連絡していたようです。その他には狼煙とか、大きな鏡で丘から丘へのチカチカ信号だったそうです。「ゲルマン人が攻めてきたぞー♪」ってな感じだったと思われます。

西洋社会、西ローマ帝国の国境には数キロごとに砦が置かれてました。ゲルマン民族との境は2本の大河で、縦軸はライン川、横軸はドナウ川でした。

グレゴリオ聖歌には長調と短調の元になった教会旋法が使われており、現在の五線譜の前身4線譜のネウマ譜で記されてます。

https://cloudhymnal.org/view/781/kyrie-mass-ix-cum-jubilo

個人的には、グレゴリオ聖歌は、歴史と様式つまり時代背景を思うと、飾りっ気の無いソレム修道院の「ソレム唱法」がふさわしいと感じてます。指揮も手のひらをユラユラと舞わせると塩梅が良いようです。

高崎守弘

楽譜用の紙と記入鉛筆

楽譜の印刷は、厚みがあり鉛筆記入や消しゴムとの相性の良いものを使用します。

厚さ 紙のタイプ
0.15mm~0.20mm 模造紙
0.20mm~0.22mm 官製はがき
0.21mm~0.25mm 電車の切符
0.26mm~0.30mm 表彰状
0.31mm~0.35mm 名刺
0.36mm~0.40mm 一般的な封筒
0.41mm~0.45mm ティッシュの箱
0.46mm~0.50mm ファイルの表紙
1.00mm コースター
2.00mm 免許証
2.50mm ダンボール

アマゾンで探したところ、紙厚0.15mmで用途に楽譜用と記された紙が見つかりました: https://amzn.to/41t8ZMT、紙厚0.18mmもありますね:https://amzn.to/3Mi6Q1d

なお、プリンターが厚紙印刷に対応している必要がありますが、近年の一般的なプリンターなら1.2mmの厚みまで対応しているはずです。印刷設定に希望の厚紙設定項目が無いときは紙質を年賀状(通常0.22mm厚み)に設定します。

給紙ミスがないようにセットする前に紙をさばいておき、紙詰まりは力任せに引っ張るとプリンターが壊れるので、一旦電源を切り、慎重にゆっくりと詰まった紙を引き抜きます。

インクはカラー色カートリッジ使用を「off」で、黒インクのみの使用設定。高速印刷ではなく印刷速度の設定をゆっくりにします。

それから、
楽譜への記入は2B程度の柔らかめの鉛筆を使用します。ヨーロッパでは画材鉛筆でなめらかに書くことのできる鉛筆があるのですが、日本では値段が張るためか、見つかりませんでした。アマゾンで探したところ、三菱鉛筆に2Bが見つかりました。https://amzn.to/44Vasi4
 楽譜用の鉛筆は、先の形状の都合からナイフで削るのですが、芯はなるべく削らないように剥き出しにして芯先を丸く削ります。

ページ数の多い楽譜は定番のキングジム クリアファイル カキコ A4 縦にファイリングすれば、ページを広げたままで楽譜に記入ができ、ページ数ボリュームにより40ページと20ページ、それから数種類の表紙色から選ぶことができます。

アルゼンチン・タンゴ

今回は南米アルゼンチンの音楽です。

2021年の生誕百年でギターとフルートの定番のごとく演奏されたピアソラの「タンゴの歴史」について調べてみました。

 

曲や作曲家の前に、先ずはアルゼンチン・タンゴからです。

https://www.youtube.com/watch?v=3Z5qEKxfmm8

 

上記の動画で演奏されているアコーデオンのような楽器は「バンドネオン」と呼ぶのだそうです。鍵盤配列が複雑なことから「悪魔の楽器」と言われるほど習得が難しい楽器だそうです。

バンドネオンはリズムに特徴があるタンゴにはが欠かせない存在として知られており、楽器を太腿の上に置き、左右のボタン鍵盤を押下し、両手でじゃばらを広げながら、踵の上下で歯切れの良い和音を奏でます。

バンドネオンの演奏表現における可能性 - ―楽器構造の視点から

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アコーデオンという楽器は、1829年にウィーンのダミアンによって発明されたとされてます。

さらに1835年頃にドイツのバンド氏がアコーデオンと似たリード楽器を開発し、自分の名にアコーディオンの「ion」を付け「バンドネオン」と名付けたそうです。

ドイツのバンドネオンが南米に伝わったのは、その直後19世紀後半のことだったそうです。

当時は国民音楽の時代で、日本なら山田耕筰、ウィーンならウィーン歌曲やウィンナワルツ、フランスのシャンソン、スペインのフラメンコなどがもてはやされる中で、アルゼンチンではバンドネオンの演奏でタンゴが流行ったようです。

南米はスペインの植民地としてヨーロッパ文化が浸透してゆきました。それでスペインの民族楽器として定着したギターも南米に伝わり、当初のタンゴはギターとフルートで演奏されることもよくあったそうです。

因みにヨーロッパのタンゴは「コンチネンタル・タンゴ」と呼ばれ区別されてます。

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https://www.alsoj.net/flute/magazine/view/955/3065.html

楽譜の出版によりレパートリーとして定着した「タンゴの歴史」は、ベルギーのフルーティスト「マーク・グローウェルズ」の演奏に接したピアソラが、彼のためにギターとフルートの組み合わせで、1900年から30年ごとのタンゴを4曲の組曲にしたものだそうです。

――マーク・グローウェルズ
「特に『タンゴの歴史』に関してですが……、初めてのリハーサルでピアソラ本人の前で演奏したとき、彼はいきなり演奏を止めて言い放ったのです。『そんなに楽譜どおりになんか演奏しないでくれ!』とね(笑)。―中略―ですからいつもそこから生まれるインスピレーションを大切にして、型にはまった演奏になってしまわないようにしています。曲の冒頭部分、ミラドミ~と上がった3オクターブ目のミを長く伸ばしたり、フラッターにしたりするのも、『売春街を取り締まる警察官のホイッスルの音』だとピアソラから聞いたからです。彼の曲はもっと自由に演奏されていいはずですよ」

 

以下は、https://www.sakimura.org/2017/01/3718/から:

ピアソラが十分な収入を得て、人生の中で初めて自分の好きな曲をかけるようになったのは1980年、59歳になってからでした。この年、彼は野心的な多楽章曲を書き始めます。その中の1曲が『タンゴの歴史』です。『タンゴの歴史』は、フルートとギターのための4楽章からなる曲で、楽章ごとに30年の間隔をおいて、タンゴがどのように変遷してきたかを表しています。ピアソラ自身がプログラム・ノートを提供しています。

◆ 第1楽章:1900年:売春宿 (Bordello, 1900)

このタンゴの原曲は1882年にブエノスアイレスで生まれました。原曲は、この「タンゴの歴史」全体がそうであるように、フルートとギターのためのものだったようです。音楽は優美さと活気に溢れ、フランス、イタリア、スペイン出身の売春婦たちが、彼女たちに会いに来る警官、泥棒、水夫、ろくでなしたちを誘惑しからかう様子を描いています。意気軒昂なタンゴです。初演のフルーティスト、M.グローウェルスによれば、冒頭のフレーズの4つ目の音(高音e)は売春宿の摘発の警官の呼笛の音だそうです。


◆ 第2楽章:1930年:カフェ(Café, 1930)

1930年には、人々は1900年のようにタンゴを踊るのをやめて、タンゴは踊る音楽から聴く音楽に変質していました。その結果、タンゴはより音楽的でよりロマンチックな音楽になっていました。これは完膚無きまでの変容でした。動きはゆっくりとして、新奇でメランコリックなハーモニーに溢れています。当時のタンゴオーケストラは、ヴァイオリン2台、コンサ2台、ピアノ、およびバスで編成され、時として歌手も加わることが有りました。


◆ 第3楽章:1960年:ナイトクラブ(Nightclub, 1960)

1960年代、国際的な人の交流は大変な勢いで増加していきました。タンゴもブラジルとアルゼンチンがブエノスアイレスで邂逅することによって、ボサノバと新タンゴが同じリズムを刻むようになり、大幅な変革の時を迎えます。新しいタンゴを聴きに、聴衆はナイトクラブに殺到しました。この時期は、タンゴの革命の時期であったともいえます。こうして、もともとのタンゴから現代タンゴは大きく変わっていったのです。


◆ 第4楽章:1990年:現代のコンサートホール(Concert d’aujourd’hui)

ここに至り、タンゴ音楽のコンセプトは、バルトーク、ストラビンスキー、その他の現代音楽と混じり合います。無調と調性が入り混じります。第1楽章のモチーフが使われています。「これは現在、そして将来のタンゴなのです(アストル・ピアソラ)」

 

アルペジオーネ・ソナタ

ギターの伴奏でも良く弾かれるシューベルトのアルペジオーネ・ソナタです。チェロって良いですねー

https://www.youtube.com/watch?v=bkYlGWnw-qk

シューベルトがゲオルク・シュタウファー作のギターを所有し、ギターで作曲したことは良く知られてます。ピアノはあまり上手ではなかったらしいです。経済的な理由でピアノが手元に無いことが多かったと本で読んだ記憶があります。

19世紀初頭に生まれた6単弦ギター制作は、当初バイオリン製作家によって始められました。ウィーンのシュタウファーも例外ではありません。ギターの名器として知られているハウザー家も元々はバイオリン制作のメッカとして知られる南ドイツ・アルプスのミッテンヴァルト村でした。

アルペジオーネという楽器は、このシュタウファーにより生み出され、その後は歴史の中で忘れ去られた楽器です。

アルペジオーネの作品はこの曲以外には知られていないようです。シューベルトがこの楽器のためにソナタを作曲したのは、ギターと同じ弦数と調弦だったからでしょう。今ではチェロの貴重なレパートリーとして知られてます。因みに伴奏はピアノですが、シューベルトがこの曲を作曲するときに手にしていたのはギターであったはずです。これがシューベルトの多くの歌曲同様にアルペジオーネ・ソナタがチェロのギター伴奏で演奏される理由です。

シュタウファー作のアルペジオーネの本物は、新王宮の古楽器博物館に展示されてます。ウィーンのハプスブルク王宮の一番大きなウィングで入り口は英雄広場です。この古楽器博物館にはシュタウファーのギターやウィンナーメカニックのピアノ等なども展示されてます。楽器博物館としては世界一でしょう。

音高や音大の研修旅行ではベートーベンやモーツアルト記念館などの音楽家記念館に行くことが多いようですが、個人的には Haus of Music博物館や古楽器博物館がお奨めです。実際に自分の学校の生徒達だけでなく、日本から来た音高や音大の研修旅行で頼まれて説明することもよくありました。

なお、オーストリアの博物館や美術館で講習や説明をするときはオーストリア共和国の行政の許可が必要です。刑法ですから警察の管轄で罰金は日本円で百万円弱ですし7年間EUに入国ができなくなります。日本の学校の先生が案内をするときは旅行会社に事前に相談しましょう。

音楽で音を楽しむ

ベンジャミン・ザンダー氏のマスタークラスです。

ギター弾きにとってはバッハの前奏曲(BWV998)シューベルトのアルペジオーネ・ソナタのマスタークラスがよく知られてますね。

今回紹介するのはウィーン古典派を代表する巨匠、ハイドンです。

さよなら交響曲、驚愕交響曲の逸話で知られるように、「ハイドンお父さん」と呼ばれ親しまれた人柄だったそうです。

ハイドンは、個性的なモーツアルトや、究極美をロマンチックに追求したベートーベンが出てくる前に個人様式を確立してます。57才のときにフランス革命でしたからバロック様式からの脱却、そして古典派の確率という生涯になりました。

https://www.youtube.com/watch?v=wfUiep-H3Oc

 

ハイドンは音楽史の流れの中では、100曲以上もの交響曲を手掛ける間にソナタ形式の形式美を不動のものとした功績があります。

宮廷音楽家としてカツラを被って演奏していたことでもわかるように、若い頃のハイドンはバロック色が強く、チェンバロを弾いてオーケストラを率いていたほどです。

後にはモーツアルトやベートーベン初期の頃にも弾いたアントン・ワルター(1752~1826)のハンマークラヴィアを弾くようになり、このハイドンのピアノはウィーン郊外のハイドン博物館に保存されており、演奏会や録音録画で使用されることもあります。

このハンマークラヴィアは、チェンバロと現代ピアノの中間に位置すると考えられる鍵盤楽器で、チェンバロのように爪弾いて発音するのではなく、ハンマーで弦を叩くという現代ピアノによく似たアクション構造の打弦楽器です。

小さく軽いハンマーを跳ね上げ弦を叩くアクション構造から生まれる音は、軽やかで歯切れの良いチェンバロやクラヴィコードに近い音色です。

共鳴箱が華奢で、チェンバロやリュートと同じように音の持続性が無く響きの減衰が早いです。これにより多声音楽でも混沌とせず各声部が薫り高く漂います。

 因みにイングリッシュメカニックの現代ピアノはロマン派の産物ですね。

ベートーベン晩年のピアノソナタ

半世紀以上になってしまった昔話ですが、中学生のときに安価な輸入盤LPレコードでブレンデルの「皇帝」を見つけ購入したのが初めてのピアノ演奏のレコードでした。

それからベートーベンのピアノ演奏と言えばブレンデルという程に彼の演奏に親しんできました。

その価値観が覆されたのがこの演奏でした。美しく粒が揃ってはっきりと鳴り響くブレンデルの響きと違う次元の音で、忘れられないコンサートになりました。1987年の秋、会場は Wiener Konzerthaus 大ホールでした。

因みに楽友協会にしてもコンツェルトハウスにしても歌劇場にしてもウィーンのコンサート会場は上部席よりも平土間の方が音が好きです。

https://www.youtube.com/watch?v=0vSPicBhjfA&t=83s

最晩年のベートーベンの作品は全く耳が聞こえず、本来は密集和音ではなく開離和音で記すべきが、耳で響きの確認ができなかったがためにハイドンとかモーツアルトのような密集和音で記されてます。

ベートーベン後期の作品を再現芸術として演奏するときには、記された楽譜が密集和音でも、ショパンやリストのように各声部が分離して綺羅びやかに響くように演奏すると美しいのですが、これがベートーベンの後期ピアノソナタ演奏の難しさだろうと思ってます。

ノーペダルのモーツアルト弾きとして知られていたピアニストのルドルフ・ゼルキン氏は、ベートーベン最晩年のピアノソナタ再現にあたってこの問題に真正面から挑んでます。音が舞い上がり、キラキラと輝いて美しいです。この演奏を凌ぐベートーベンのピアノソナタに触れたことがありません。航空力学的には不可能とされる「熊ん蜂の飛翔」を想起させてくれます。

ファリャ「7つのスペイン民謡」

夢の共演ですね。ファリャの「7つのスペイン民謡」をソプラノ歌手ビクトリア・デ・ロス・アンヘレスがスペインの巨匠ピアニスト・ラローチャ伴奏で歌ってます。

https://www.youtube.com/watch?v=Dz83qLp29DE

 

一般的にはスペインのソプラノ歌手と言えば先月他界したベルガンサですが、イエペスのギター伴奏でこの曲集を録音してます。以下ページにSpotify(スポティファイ)リンクがあります。合掌。

追悼 テレサ・ベルガンサ《7つのスペイン民謡》YouTube動画公開

鳥の歌

「鳥の歌」と言えば何と言ってもカザルスの国連スピーチです。これを超えるこの曲の演奏は今後も出てこないのではないかと感じてます。

さて、今回はホセ・カレラスが歌うカタロニア民謡「鳥の歌」です。

https://www.youtube.com/watch?v=Ey40wh99lIA&t=206s

 

トーレスの愛奏者として知られるカルレス・トレパット氏も弾いてます。日本には居ない、と言うか、日本の聴衆が育てることのできない巨匠ですね。

https://www.youtube.com/watch?v=IaYsxmKJTGs

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