西洋の美術巡りをすると至る所で「聖セバスティアヌスの殉教」が観られます。セバスティアヌスはたくさんの矢を射られて死んだことから少しの矢では死なず、矢に強かったと考えられたそうです。
14世紀のヨーロッパでは人々が黒くなって死んだ黒死病(ペスト)で人口の3分の1が命を落としたことが知られてます。それで、次のルネサンス時代には、飛んでくる矢のような災いにもセバスティアヌスが強いと信じられるようになり、当時、大きな災いと考えられたペストの守護聖人に崇められるようになったそうです。
ウィーンの美術史美術館の目立たない一角に、小品ながら宝石色に輝く美しい絵画があります。縦横が、60 x 30cm 程度の板に描いた小品、マンテーニャ作「聖セバスティアヌスの殉教」です。

セバスティアヌスは彼の信じる神を説き、殺されました。一人の人間の壮絶な死です。史実とされてます。
セバスティアヌスは彼の神を信じ、彼の人生をかけて、イエスと同じように、人にとって一番大切な命を捧げます。イエスが死の瞬間に「詩篇」を唱えたのと同じようにセバスティアヌスも神を求めたのでしょう。神はイエスの死の刹那にも沈黙を解かなかったのと同じように、セバスティアヌスの死の時も沈黙だったはずです。
マンテーニャが描いたセバスティアヌスの絵には、これほど美しい空を描いた絵は他に無いのではないかと思われるほど美しい空が描かれてます。
この顔料の話は別の機会に譲りますね。
その空には彼が命をかけて求める神の姿が描かれてます。画の一番上左、雲の中です。よく観ないと気付かないかも知れません。ルネサンス時代ですから古典的な神の描写です。
セバスティアヌスは右の空を見上げ、神は左の空、つまり神の姿が見えないまま死に行きます。事切れるそのときに空を仰ぐセバスティアヌスのひたむきな眼差しは、そこに居る神に気付かず、しかし、最後まで揺ぐこと無く神を求める曇りのない美しい心を表しているのだろうと感じます。それだけで無く、求められた神は最後まで沈黙を通し、しかし、確かに空で待って居るのです。
マンテーニャの絵には、一方が沈黙を続ける中で生まれる、求める者の愛と、求められる者の愛という異なる二つの美しい愛の表現と共に、沈黙の神を求めるということへの救いが語られているように感じます。
※因みにボクはキリスト教ではありません。必要に迫られて学んだだけです。高崎守弘
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詩篇31:1 【指揮者によって。賛歌。ダビデの詩。】
主よ、御もとに身を寄せます。とこしえに恥に落とすことなく
恵みの御業によってわたしを助けてください。あなたの耳をわたしに傾け急いでわたしを救い出してください。砦の岩、城塞となってお救いください。あなたはわたしの大岩、わたしの砦。御名にふさわしく、わたしを守り導き隠された網に落ちたわたしを引き出してください。あなたはわたしの砦。まことの神、主よ、御手にわたしの霊をゆだねます。わたしを贖ってください。