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カテゴリー「芸術」の検索結果は以下のとおりです。

古代の古典

  • 2026/04/01 14:55
  • カテゴリー:芸術

西洋では時代の変換は「静」と「動」の切り替えでした。

文明の始まりは古代からです。古代は神への傾倒とともに、神殿に代表される古典建築がよく知られてます。当時の彫刻が建造物の装飾だったことからも建築優先の傾向が伺えます。

古代メソポタミア、古代エジプト、古代ギリシア、古代ローマ時代の建築は、通常は中東や地中海沿岸の石灰岩を割ってそれを積み上げて作りました。オベリスクや石棺などに花崗岩が使われたのは例外です。

ちなみに石の加工は、「石切り」ではなく、実際には「石割り」で、その技術は自由を勝ち取ったフリーメイソン石工組合へと繋がります。それが建築の時代と言われる中世の教会建築を生み出します。建築史上の頂点はゴシック建築です。

ヨーロッパ中世の建築については、過去に記したものがどこかにあるかも知れません。見つけた方は教えてくださると助かります。

暗黒の時代、中世は教会建築の時代です。当初は木造が多かったバジリカ様式が石像建築になり、ローマ風のロマネスク様式、ゴート式のゴシック。そして、そこで響いた音楽はグレゴリア成果の単旋律から、レオナンの2声、さらにペロタンの3声へと拡がってゆきます。もちろん多声音楽はその後発展と整備が進み頂点はバッハでした。

古代の建築の始まりは、神殿建築が基礎ですから、鐘を鳴らす悪魔祓いや、オイルランプや蝋燭ときには松明による神の光、星座と方位、素数や集合の発想から生まれる数字、悪魔祓いの文字表記も取り入れられます。

この文字表記の発想はバッハの音楽にも見られ「 シのフラット ⇒ ラ ⇒ ド ⇒ シ 」つまり音の独語表記「 B ⇒ A ⇒ C ⇒ H 」BACHという彼の名前の綴りをテーマとした曲はご存知の通りです。

さて、古代建築は一般的には柱の様式がよく知られ学校の教科書でもドーリア、イオニア、コリントの流れを学んだはずです。

この様式の変化は、建造物の一部に使われた彫刻に見られる初期のアルカイックやギリシア古典さらに動きのあるヘレニズムへの変遷と同じ動きでした。

いずれにせよ、石灰岩の建造物ですから石工たちが石を割りそれを積み上げました。ですから先ず「平面」「エッジ」「直線」の美しさの積み上げです。

これが古典の基本です。

年代は異なってもハイドンやベートーベンも古典派ですから、この点の把握はウィーン古典派時代の音楽の理解に不可欠です。

一昨日のギリシア哲学に関する投稿も音楽と大きく関わってきます。合わせて目を通していただければ幸いです。

そして古代ギリシア文明はそのまま古代ローマ帝国に引き継がれます。ゼウスがユピテル(Iuppiter)、ヘラがユノ(Iuno)、ポセイドンがネプトゥヌス(Neptunus)など、星座や惑星の由来となる名称に変化した程度とも理解できます。

ヨーロッパ中に広がった古代ローマの文化は、一部を除き、古代ギリシア文化のコピーです。

 

続きを書かないといけませんね。体力と気力次第です。

音楽、革命の前と後

  • 2026/03/30 00:24
  • カテゴリー:芸術

ギャラント様式(優美様式)はロココ様式とも呼ばれます。王侯貴族の時代終焉から中産階級時代が確定するまでの過渡期の様式です。つまり、バロックでも古典派でもなく、一瞬で過ぎ去った時代様式です。

絵画ならフランスのアントワーヌ・ヴァトーやフランソワ・ブーシェや女流画家ルブラン、スペインのゴヤ初期で柔らかい光の演出のためにパステル画も多いです。これらの絵画は宗教の足かせからの開放感が素晴らしいです。

この時代は、一般史ではフランス革命の前後で、この大きな時代の転換点は産業革命によってもたらされます。

それまでの価値観が覆されたわけですから革命と呼ばれます。社会主義とその先に位置する共産主義は別物ですが、一般的には産業革命後は現在に至るまで社会の構造に変化は無いと考えられます。一般市民の時代の到来でした。

芸術史では価値観が今現在とバロック時代と異なることから、バロックとその前のルネサンス音楽を楽譜から再現するときは、いくらかの事前準備が必要になり、聴くときも感情脳とともに論理脳のスイッチ切り替えが必要になります。

つまり呆然と聴いてもわからず、メトロノームのごとく機械的に演奏されるビバルディや軽音楽として扱われる曲程度の理解になります。これについては当時の文献にも記されており、音楽を理解する人と理解しない人が居ることが指摘されてます。

理解というよりも音楽の再現としてのインタープレーター必読文献は、以下の3冊です。いずれも日本語訳の購入が可能ですし、3冊を比較し1冊に取りまとめた日本語の本も1970代には出版されてました。

 

バッハ、カール・フィリップ・エマヌエル
Carl Philipp Emanuel Bach (1714-1788 プロイセン)

  • Versuch über die wahre Art das Clavier zu spielen
    正しいクラヴィーア奏法試論 1753 Part I, 1762 Part II
    バロック音楽から古典派音楽へと至る時代の架け橋として活躍したバッハの3人の息子のうちの一人。長男がフリーデマン(ハレのバッハ)、次男エマヌエル(ベルリン/ハンブルクのバッハ)、末子クリスティアン(ロンドンのバッハ)。プロイセンのフリードリッヒ大王の元で1738から1767まで、大王皇太子時代から約30年チェンバリストとして仕えた宮廷音楽家。18世紀バロック時代のチェンバロ、クラヴィーア(クラヴィコードやピアノ)の奏法、装飾音、即興演奏について記述された指導書。

 

レオポルト・モーツアルト
Leopold MOZART (1719-1787 ザルツブルク大司教区)

  • Versuch einer Gründlichen Violinschuhle
    バイオリン奏法 1756
    モーツアルト生年に出版されたモーツアルトの父親のバイオリン教本。18世紀バロック時代の擦弦楽器の奏法、装飾音、楽譜からの再現演奏について記述された指導書。

 

クヴァンツ、ヨハン・ヨアヒム
Quantz, Johann Joachim (1697-1773 プロイセン)

  • Versuch einer Anweisung die Flöte Traversiere zu spielen
    フルート奏法 1752
    オーストリアの国母マリア・テレジアの宿敵プロイセンのフリードリヒ大王に重用された宮廷音楽家。フルートを好んだ大王のフルート教師。18世紀バロック時代の木管楽器の奏法、装飾音、即興演奏について記述された指導書。

芸樹としての音楽はもっと悲惨

  • 2026/02/03 21:29
  • カテゴリー:芸術

芸術も学術研究と同じです。ヨーロッパでもその傾向が危惧されています。日本はもはや手遅れでしょうね。

ノーベル賞受賞者・大隅氏が嘆く
日本における基礎科学の惨状

芸術も音楽も知らず、気付く環境も無ければ、手先だけが器用な人が持て囃されるのは当然でしょう。想像力は期待できませんから。

これは芸術を解さない人々に照準を合わせた結果です。サーカスと芸術は異なるのです。つまり、サーカスの良し悪しではなく「異なる」ことの指摘です。教育の問題ですから政治の問題です。芸術を愛するなら政治に対してボォーーーーーーっとしていてはいけません。

Victor BORGE(ヴィクター・ボーグ)

  • 2025/12/09 10:05
  • カテゴリー:芸術

カバレット」はご存知でしょうか?その俳優が「カバレティスト」です。

前の投稿に続いて、5年前に他界された Victor BORGE(ヴィクター・ボーグ)さんです。デンマーク人ですから英語は堪能です。YouTube字幕を日本語にしても良いかも知れません。

言葉遊びとか、モーツアルトのことを知ってないと笑えないということは「カバレット」のお客さん達は、読み書き算盤以外の能力も高い階層だということです。日本語の学び始め数年の外人さんにとって落語の理解が簡単ではないのと同じ感じでしょうかね。

知識人のための笑いの文化ってのは良いものです。

https://youtu.be/RtDX1Vl-Jxk?si=Loo3a3BLiAaxyjRl
カバレティスト「ビクター・ボルゲ」

ボーグさんをもう少し聞きたいと言う方は:
Victor Borge (1909 - 2000) - Csárdás e Dance Of The Comedians - Legendas em PT-BR

公演のお誘い

  • 2025/10/27 23:01
  • カテゴリー:芸術

【内容】演劇集団「浜松キッド」星屑の町
【日時】2025年11月16日(日)13:30開場14:00開演
【開場】浜松市地域情報センターホール
【料金】1000円
【詳細】浜松キッド公式ページ

チケットお取り置きしますから連絡ください。お手伝いで会場に居ます!

演劇集団浜松キッド「星屑の町」チラシ

 追記:公演にお越し下さりありがとうございました。
クラシックギター演奏:高崎守弘

芸術について

  • 2025/08/27 23:27
  • カテゴリー:芸術

体調不良が続いてます。浜松の猛暑は手強いです。古希ですから寄る年波ですね。さて、今回は芸術について、つまり「美学のお話」です。

 

本題に入りましょう。

 

芸術というのは、きっと精神空間における経験なんだろうなと思います。

Aさんの「私は楽しい」という思いが、Bさんに、何がどの様にかを、より明確に具体的に正確に確実に伝われば「楽しい」の共有に近付くことができるかも知れません。

Bさんは、それまで触れることも想像することもできなかった「楽しい」を知ることになります。

ときには、それが「悲しい」であったり「苦しい」であったり「悲しみ」の共有であったりすることもあるでしょう。


これが、芸術論では「芸樹とは何か?」という問いかけであったり、美学では「美しい」とは何か?との問いかけに対する答えなのではないかと思います。

小さな子供が、些細なことで泣きながら母親に駆け寄ってゆくのは、必ずしも身体や心に取り返しがつかないほどの痛みを持っているとは限らないということです。

多くの場合は、ただ「痛い、痛かった」ことを伝える、つまりそれを理解してもらいたい、痛みを知ってもらいたい、分かち合いたいという思う無意識の行動なんだろうと思ってます。

しかし、個人の思いや精神世界の共有というのは、簡単なことではなく、もしかしたら本当は不可能なことなのかも知れません。

掘り下げて考えてみると、人生の中で心の痛みを味わったことのない人が、他人の心の痛みを想像するのは困難なことです。理解することも難しいと思います。

【私は楽しい】=【貴方も楽しい】
【私は悲しい】=【貴方も悲しい)
【私は嬉しい】=【貴方も嬉しい】
【私は辛い】=【貴方も】
【私は痛い】=【貴方も・・・】

このそれぞれの2つの言葉をつなぐ「=」に代わるものとして芸術の存在意義があります。小さな子供の「ねぇ、ねぇ、お母さん」の次に来る言葉と同じようなものだと言うことです。

この「=」の部分を言葉で埋めると「文学」、そして「絵画」や「彫刻」などで埋めると視覚芸術、さらに「音」で埋めると音楽です。

ここに芸術の存在意義があります。


ここで一応確認しておきます。

ヨーロッパの文化は古代ローマ帝国から現代に繋がって来てます。その古代ローマの文化は、探せば例外が見つかる程度で、ほぼ全て古代ギリシアの文化を継承してます。

古代ローマ語、つまりラテン語の語源はさておき、ゼウスはユーピテル(ジュピター)であり、アフロディテはヴィーナス、ヘルメスはメルクリウスと言葉が替わるだけで同じ神々の言い換えにしかすぎません。

もちろん、ミュージック(Music:英)、ムジーク(Musik:独)の語源は、ギリシャ神話の芸術・詩・音楽を司る女神「ミューズ(Muse)」に由来し、英語の「Music」は、ミューズの女神が司る【芸術】を意味するギリシャ語「ムーシケー(mousikē)」に始まり、それが古代ローマ語のラテン語、その派生のフランス語を経て英語に取り入れられたものです。

でもそんなお門違いな学問ではなく、ここでの問いかけは、その先にあるべき事がらの話です。常に無知の知を自覚し、変な学者に惑わされないようにしたいと願ってます。そのためにも哲学も心理学も学んだ方が良いようですね。


閑話休題

音楽について考えると「楽しくなければ音楽じゃない」という発想があるような気がしてます。この誰にでもわかりやすい単純な発想にについて考えておきます。

私利私欲の塊メディアの言葉には注意が必要です。人の心はお金だけでは救うことができないからです。

当たり前ですが「サーカス」と「芸術としての演奏」は共通する点があっても別物です。芸術は驚きのずっと先に位置しているからです。

混同してはいけません。ピカソの描く線が光の直進のごとく真っ直ぐであっても芸術としては無意味なのです。つまり、ピカソは絵が下手くそだと言う思い違いの話です。彼は若い頃、青の時代の前に徹底的に技術を磨いた人です。興味のある方はバルセロナのピカソ美術館です。

これは、今まさに他界する瞬間の億万長者を想像すればわかることです。日本人に身近なところでは、たった262文字で生と死を解いた般若心経に集約されると思います。

しかし、今ここで話題にしているのは般若心経の先、つまり宇宙の果て、ブラックホールの先の話題です。下記アインシュタインの言葉にあるように、人の精神世界はもしかしたら無限の広がりと深さと時間を持っているのかも知れないからです。

人は「無限の夢」と「有限の現実」の間で生きている。これが「夢と現実/Traum und Wirklichkeit」の自覚です。

 

音楽は時間の流れとともに始まり終わります。「こんにちは」と「サヨナラ」の間に音楽という芸術があるわけです。

一般的には「こんにちは」と「サヨナラ」の間には「愛」があります。音楽も芸術も同じです。ですからこの2つの言葉は大切なんだと思います。

家族でも良いですし、自分以外との関わりなら「おはようございます」「おやすみなさい」とか、「いただきます」「ご馳走さま」の言葉の意義でもあると思います。

 

音楽芸術は時間の芸術です。これは、自分の視野や知識、知恵の総動員で聴いても刻々と流れ去るという話です。当たり前ですが、勝ち負けではなく、丸バツだけの単純な価値観とは世界が違います。

ウィーンの教育と浜松の教育を比較するのが正しいかどうかわかりません。でも決定的な違いは「愛」の大きさと深さだろうと感じてます。教育というのは、もちろん「家庭」「社会」「教育制度の中」これら全てのことです。

もしかしたら、日本では縄文からの芸術や文化が途中で失われてしまったのかも知れません。

家族単位程度の移住が、少なくとも数百年間続き、縄文遺伝子に弥生遺伝子と呼ばれる雑多な大陸遺伝子が入り込み、古墳時代にも大規模な遺伝子の混血があり、それにより縄文遺伝子は1割程度が残るだけになりました。

想えば、土偶が消えて埴輪になったときに、日本列島の住民が数万年間の文化を忘れ去った、これが日本の古代史なのかも知れません。記紀の本質、つまり隠蔽や嘘を解き明かす必要性を強く感じてます。私が、貴方が神社で手を合わせるその先には何があるのかです。

これは、お金が全ての宗教ではなく、宗教哲学や芸術論、美学の世界での話しです。 

ホモ・サピエンス史上で最高無二の文化が縄文文化です。日本の教育者大先生がでっち上げた4大文明は、7300年前のカルデラ火山の噴火後、つまりせいぜい5千年とか長く見ても6千年前の話です。縄文は数万年の話ですから単位が違います。

個人的には、日本での生活が日々流れる間に、芸術としての音楽は日本に存在しないと感じるようになってます。これは偏差値教育で知性が地に落ちたのが原因ではないかと想像します。

ウィーンを首都とするオーストリアと現在の日本を比較すると、偏差値を全てとする教育と社会は間違っていると感じるのです。外国かぶれの弊害ですね。

しかし、このような状態の日本では、絶対音感が音楽才能だと短絡的な思考になるのは当然のことです。もちろん「読み書き算盤」の能力や絶対音感はあったほうが便利です。大切なことは、それだけでは無いという話です。

 

IQ検査なるものがあります。ヨーロッパでは紙面でも会話でも一度も触れませんでした。それに比べて日本人は偏差値とかIQとかが好きなようです。これは数字ですからわかりやすいのでしょう。もちろん、大切なことはわかりにくいところにあります。

個人的には、IQ検査の結果はその度に数値が変化し、低ければ145、高ければ160です。集中力思考の転換速度を数値に置き換えるだけの検査ですから、たぶんそのときの体調にもよるのでしょう。

「IQが20違うと会話が成立しない」 というよく知られた言葉があります。実際には「IQが20違う場合、上位者が下位者に目線を合わせないと会話がスムーズに進行しない」ということらしいです。

IQ145とすれば125以下の人との相互理解が難しく、160ならIQ140以下の人との会話は普通には成立しないとの話です。理解不能では仕方ないです。

もちろん、IQとの数値と芸術としての西洋音楽についての関わりは不明です。芸術には感性が関わってます。

アインシュタインのIQは160以上、少なくとも190以上だろうと言われてます。ですから160の想像力では遠く及びません。ですが、彼がが娘に送った手紙について考えることはできます。それが芸術にも繋がることだろうとも思います:

 

『世界を癒すエネルギーは、光速の2乗で増殖する愛によって獲得することができ、愛には限界がないため、愛こそが存在する最大の力であるという結論に至った』

 

今回は美学に関する考察ですから、長くなりました。

宮沢賢治「セロ弾きのゴーシュ」

  • 2024/10/03 08:00
  • カテゴリー:芸術

来る2024年10月19日と11月16日に雄踏文化センターで催される 演劇集団「浜松キッド」さんの公演でお手伝いすることになりました。

詳細案内と予約ページ↓↓↓
https://sites.google.com/view/hamamatsu-kid/gauche?authuser=0

劇団キッド「セロ弾きのゴーシュ」

この公演はスポンサーが付き、入場料がワンコイン500円という破格の料金で開催されます。演目は宮沢賢治「セロ弾きのゴーシュ」です。

1970年代に東京で開催された宮沢賢治「鹿踊りのはじまり」公演に関わったことがありましたが、彼の作品からは日本人の心の奥深くに刻まれた感性が感じられます。

ウィーンから引き上げてきて4年になって、半世紀ぶりに故郷で開けた玉手箱には、失われてしまった日本の心が収められてました。

宮沢賢治の作品には、儲け話とは別の次元で、文化活動によってのみ見つけることのできる「人の魂」が宿っているのが感じられます。

自分の理解を超えた文化と精神への畏敬の念は、今の日本に一番欠けているものではないかと思います。毒杯を仰ぎ、哲学の祖として知られるソクラテスの「無知の知」です。

 

お近くの方でお時間を取ることのできる方は是非足を運んでくださればと思います。

公演はシリーズで3回、毎回異なる音楽会との組み合わせで開催され10月19日は「カムカムジョーカーズ」さん、さらに11月16日は「まぁしゃす」さんの出演です。

夢うつつ

  • 2024/07/21 23:17
  • カテゴリー:芸術

ボッシュの3大作の内の一点はうウィーンのアカデミー美術館に公開されてます。彼の3大作3点ともに同じ作風ですが、マドリードのプラド美術館のボッシュも飽きずに観てられます。行ったときにはゴヤの大作から少し離れた部屋ですから探してみると良いでしょう。

ボッシュの絵画ももちろん芸術ですから、超現実主義(シュールリアリズム)は無論のこと、同市アトーチャ駅界隈で公開されている悲しみの画家ピカソの「ゲロニカ」や「泣く女」、国連演奏で知られるカザルス「鳥の歌」も好き嫌いではなく、人の思いとか、想いを乗せた感性と言う視点で接すると、自分の中に眠っている様々な想いや、果てし無く広がる夢を見つけることができます。

以下 YouTube動画はボッシュの魅力をわかりやすく魅せてくれてます。夢を見せてくれるのはシャガールだけではなく、その数百年も前に既にボッシュが抱いた夢を私達に語ってくれてます。

https://youtu.be/5VXemWpC0oc?si=qMu1UmzSBtpjZqqS
El jardín de las delicias, Hieronymus Bosch

ロマン派

  • 2023/12/22 15:38
  • カテゴリー:芸術

ヨーロッパでは、イギリスから始まった産業革命がヨーロッパ大陸に浸透するにつれて、新しく生まれた中産階級が勃興します。この市民階級の民衆が、それまでの王侯貴族の生活や宗教のシガラミから開放されるにつれて、それまで無かった一般庶民の文化を生み出してゆきます。

これが、壮麗、豪華、過度な強調のバロックとの決別に繋がり、フランス革命に代表される歴史の大きな変化を生み出します。つまり、中世時代の混沌から脱したルネサンスや、その源泉とも言える古代ギリシア時代への回帰です。今から2百数十年前のことでした。

因みに古代ローマ文化は古代ギリシア文化をそっくり継承してます。言葉が古代ギリシア語から古代ローマのラテン語に変化しただけです。ゼウスがユピテル(英:ジュピター)、アポロンがアポロ(英:アポロ)、アテナがミネルウァ(英:ミネルヴァ)などです⇒ウィキペディア

この中産階級の文化は、最初のうちは、王侯貴族への憧れもあってギャラント様式ロココ様式のような、それまで培われてきた華やかなバロック文化の影響が残った過渡期の様式も見られましたが、その後はそれまでの難解な文化よりも、単純明快でわかりやすい古典的なものが主流になってゆきます。

この変化は、中産階級の中でもブルジョアジーと言われる富裕階層の文化が、徐々に一般庶民へと幅広く浸透していった結果の表れだろうと理解してます。

音楽なら、難解なポリフォニーから単純明快なホモフォニーへの移行であり、庶民にもわかりやすい夢や表面的な華やかさの追求結果と捉えてます。

この動きが、ドラマの時代と言われたバロックから、音楽の時代と言われた古典派、さらに文学の時代と言われたロマン派への変化へと繋がってゆくことになります。

ビーダーマイヤー画家カール・シュピッツヴェーク

ロマン派の時代は19世紀半ばから後半と考えられますが、例外も散見され、初期には音楽と文学とのコラボでドイツ歌曲を生み出したシューベルトや、シラーのテキストとのコラボにより生まれたシンフォニー「第9」で知られるベートーベン、さらに南米などでは後追いの形で現在に至るまでロマン派の傾向が残ってます。

子供の情操教育には夢に溢れるロマン派の文学が良いですね。 

ロマン派の産物としては、遠い昔に想いを馳せたグリム兄弟に代表されるメルヘン、ヨーロッパと異なる文化への憧れから生まれた漂流記や旅行記、または理解のし易い身近な生活に密着した内容の文学です。もちろん、このような傾向は文学だけでなく絵画や音楽にも見られます。

音楽においても、このような時代の影響から文学との融合という試みが始まります。ベートーベンの第9はその先駆けとも考えられます。ロマン派の典型的なものは、音楽では交響詩や楽劇であり、一般庶民の生活に密着した民衆劇、さらに大きな流れとしては歴史主義や民族主義の台頭へと繋がってゆきます。

関連:ビーダーマイヤー様式

高崎守弘

バレー「眠れる森の美女」

  • 2022/04/13 22:11
  • カテゴリー:芸術

これも先週プラハの仲間からのメールで教えてもらった動画です。

メルヘンには夢がありますね。バレーがこんなに魅力的だとは知りませんでした。光と色と模様、その配置とバランス、動きと静止の姿の美しさに引き込まれます。メロディメーカーとして知られるチャイコフスキーの効果音楽も見事です。メルヘンとロマン派の組み合わせが無敵だったことを再確認しました。

https://www.youtube.com/watch?v=M751MfXPU8E

 

それにしても、価格comサイトで人気ナンバーワンとは言え、所詮安価なPCスピーカーです。単純な軽音楽ならともかく、クラシック音楽の中でも音の作りに複雑さの無いチャイコフスキーでさえ、耳を澄ましても音楽とその音が聴こえません。

あまりに酷い音なので、音響について考えてみたのですが、どうせ音響ルームを設計して高級スピーカーを置いたところで、ヨーロッパのオペラ座と比べれば、月とスッポンほどの差があります。

コロナ騒ぎが落ち着き、戦争とそれに続く冷戦が収まって、その後の不況を超えた頃にウィーンに飛んで現場の演奏を聴くのが良いですね。長い辛抱になりそうですが「陽はまた昇る」の言葉を胸に、その時を待とうと思います。

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