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カテゴリー「芸術」の検索結果は以下のとおりです。

宮沢賢治「セロ弾きのゴーシュ」

  • 2024/10/03 08:00
  • カテゴリー:芸術

来る2024年10月19日と11月16日に雄踏文化センターで催される 演劇集団「浜松キッド」さんの公演でお手伝いすることになりました。

詳細案内と予約ページ↓↓↓
https://sites.google.com/view/hamamatsu-kid/gauche?authuser=0

劇団キッド「セロ弾きのゴーシュ」

この公演はスポンサーが付き、入場料がワンコイン500円という破格の料金で開催されます。演目は宮沢賢治「セロ弾きのゴーシュ」です。

1970年代に東京で開催された宮沢賢治「鹿踊りのはじまり」公演に関わったことがありましたが、彼の作品からは日本人の心の奥深くに刻まれた感性が感じられます。

ウィーンから引き上げてきて4年になって、半世紀ぶりに故郷で開けた玉手箱には、失われてしまった日本の心が収められてました。

宮沢賢治の作品には、儲け話とは別の次元で、文化活動によってのみ見つけることのできる「人の魂」が宿っているのが感じられます。自分の理解を超えた文化と精神への畏敬の念は、今の日本に一番欠けているものではないかと思います。毒杯を仰ぎ、哲学の祖として知られるソクラテスの「無知の知」です。

 

お近くの方でお時間を取ることのできる方は是非足を運んでくださればと思います。

公演はシリーズで3回、毎回異なる音楽会との組み合わせで開催され10月19日は「カムカムジョーカーズ」さん、さらに11月16日は「まぁしゃす」さんの出演です。

夢うつつ

  • 2024/07/21 23:17
  • カテゴリー:芸術

ボッシュの3大作の内の一点はうウィーンのアカデミー美術館に公開されてます。彼の3大作3点ともに同じ作風ですが、マドリードのプラド美術館のボッシュも飽きずに観てられます。行ったときにはゴヤの大作から少し離れた部屋ですから探してみると良いでしょう。

ボッシュの絵画ももちろん芸術ですから、超現実主義(シュールリアリズム)は無論のこと、同市アトーチャ駅界隈で公開されている悲しみの画家ピカソの「ゲロニカ」や「泣く女」、国連演奏で知られるカザルス「鳥の歌」も好き嫌いではなく、人の思いとか、想いを乗せた感性と言う視点で接すると、自分の中に眠っている様々な想いや、果てし無く広がる夢を見つけることができます。

以下 YouTube動画はボッシュの魅力をわかりやすく魅せてくれてます。夢を見せてくれるのはシャガールだけではなく、その数百年も前に既にボッシュが抱いた夢を私達に語ってくれてます。

https://youtu.be/5VXemWpC0oc?si=qMu1UmzSBtpjZqqS
El jardín de las delicias, Hieronymus Bosch

ロマン派

  • 2023/12/22 15:38
  • カテゴリー:芸術

ヨーロッパでは、イギリスから始まった産業革命がヨーロッパ大陸に浸透するにつれて、新しく生まれた中産階級が勃興します。この市民階級の民衆が、それまでの王侯貴族の生活や宗教のシガラミから開放されるにつれて、それまで無かった一般庶民の文化を生み出してゆきます。

これが、壮麗、豪華、過度な強調のバロックとの決別に繋がり、フランス革命に代表される歴史の大きな変化を生み出します。つまり、中世時代の混沌から脱したルネサンスや、その源泉とも言える古代ギリシア時代への回帰です。今から2百数十年前のことでした。

因みに古代ローマ文化は古代ギリシア文化をそっくり継承してます。言葉が古代ギリシア語から古代ローマのラテン語に変化しただけです。ゼウスがユピテル(英:ジュピター)、アポロンがアポロ(英:アポロ)、アテナがミネルウァ(英:ミネルヴァ)などです⇒ウィキペディア

この中産階級の文化は、最初のうちは、王侯貴族への憧れもあってギャラント様式ロココ様式のような、それまで培われてきた華やかなバロック文化の影響が残った過渡期の様式も見られましたが、その後はそれまでの難解な文化よりも、単純明快でわかりやすい古典的なものが主流になってゆきます。

この変化は、中産階級の中でもブルジョアジーと言われる富裕階層の文化が、徐々に一般庶民へと幅広く浸透していった結果の表れだろうと理解してます。

音楽なら、難解なポリフォニーから単純明快なホモフォニーへの移行であり、庶民にもわかりやすい夢や表面的な華やかさの追求結果と捉えてます。

この動きが、ドラマの時代と言われたバロックから、音楽の時代と言われた古典派、さらに文学の時代と言われたロマン派への変化へと繋がってゆくことになります。

ビーダーマイヤー画家カール・シュピッツヴェーク

ロマン派の時代は19世紀半ばから後半と考えられますが、例外も散見され、初期には音楽と文学とのコラボでドイツ歌曲を生み出したシューベルトや、シラーのテキストとのコラボにより生まれたシンフォニー「第9」で知られるベートーベン、さらに南米などでは後追いの形で現在に至るまでロマン派の傾向が残ってます。

子供の情操教育には夢に溢れるロマン派の文学が良いですね。 

ロマン派の産物としては、遠い昔に想いを馳せたグリム兄弟に代表されるメルヘン、ヨーロッパと異なる文化への憧れから生まれた漂流記や旅行記、または理解のし易い身近な生活に密着した内容の文学です。もちろん、このような傾向は文学だけでなく絵画や音楽にも見られます。

音楽においても、このような時代の影響から文学との融合という試みが始まります。ベートーベンの第9はその先駆けとも考えられます。ロマン派の典型的なものは、音楽では交響詩や楽劇であり、一般庶民の生活に密着した民衆劇、さらに大きな流れとしては歴史主義や民族主義の台頭へと繋がってゆきます。

関連:ビーダーマイヤー様式

高崎守弘

バレー「眠れる森の美女」

  • 2022/04/13 22:11
  • カテゴリー:芸術

これも先週プラハの仲間からのメールで教えてもらった動画です。

メルヘンには夢がありますね。バレーがこんなに魅力的だとは知りませんでした。光と色と模様、その配置とバランス、動きと静止の姿の美しさに引き込まれます。メロディメーカーとして知られるチャイコフスキーの効果音楽も見事です。メルヘンとロマン派の組み合わせが無敵だったことを再確認しました。

https://www.youtube.com/watch?v=M751MfXPU8E

 

それにしても、価格comサイトで人気ナンバーワンとは言え、所詮安価なPCスピーカーです。単純な軽音楽ならともかく、クラシック音楽の中でも音の作りに複雑さの無いチャイコフスキーでさえ、耳を澄ましても音楽とその音が聴こえません。

あまりに酷い音なので、音響について考えてみたのですが、どうせ音響ルームを設計して高級スピーカーを置いたところで、ヨーロッパのオペラ座と比べれば、月とスッポンほどの差があります。

コロナ騒ぎが落ち着き、戦争とそれに続く冷戦が収まって、その後の不況を超えた頃にウィーンに飛んで現場の演奏を聴くのが良いですね。長い辛抱になりそうですが「陽はまた昇る」の言葉を胸に、その時を待とうと思います。

文化の薫り

  • 2022/03/28 12:06
  • カテゴリー:芸術

東京で開催中のメトロポリタン美術館の特別展に行きました。5月30日まで開催されてます。お薦めです。

さて、以下はウィーン楽友協会150年祭の催しです。YouTube の字幕をONにしてから自動翻訳の設定を日本語にすることができます。

https://www.youtube.com/watch?v=QzYwpeGZg18&t=102s

 

このウィーンの動画を日本で見て感じたことは、自分の想像を超えたことに取り組んでいる人たちが居て、その活動が生活を豊かに変化させていることです。

田舎に引き篭もっている間に文化から離れてゆくのを感じます。生意気なのかも知れませんが、正確にはそこに生活する人々の意識の貧しさを感じてます。このことを、気にも止めない方々が多いのが現実なのではないかと思います。

無知の知」はとても大切なことで、それを「無知の罪」と呼ぶ人が居るほどです。このことを忘れないように自らを見つめ続け、律したいと常に願ってます。

芸術は知的な活動です。中国雑技団からの驚きとは異なる精神世界があります。このことを夢にも思わず、また理解しようともせず生涯を過ごす人が居るのは悲しいことです。

沈黙の愛

  • 2021/03/03 02:43
  • カテゴリー:芸術

西洋の美術巡りをすると至る所で「聖セバスティアヌスの殉教」が観られます。セバスティアヌスはたくさんの矢を射られて死んだことから少しの矢では死なず、矢に強かったと考えられたそうです。

14世紀のヨーロッパでは人々が黒くなって死んだ黒死病(ペスト)で人口の3分の1が命を落としたことが知られてます。それで、次のルネサンス時代には、飛んでくる矢のような災いにもセバスティアヌスが強いと信じられるようになり、当時、大きな災いと考えられたペストの守護聖人に崇められるようになったそうです。

ウィーンの美術史美術館の目立たない一角に、小品ながら宝石色に輝く美しい絵画があります。縦横が、60 x 30cm 程度の板に描いた小品、マンテーニャ作「聖セバスティアヌスの殉教」です。

セバスティアヌスは彼の信じる神を説き、殺されました。一人の人間の壮絶な死です。史実とされてます。

 

セバスティアヌスは彼の神を信じ、彼の人生をかけて、イエスと同じように、人にとって一番大切な命を捧げます。イエスが死の瞬間に「詩篇」を唱えたのと同じようにセバスティアヌスも神を求めたのでしょう。神はイエスの死の刹那にも沈黙を解かなかったのと同じように、セバスティアヌスの死の時も沈黙だったはずです。

マンテーニャが描いたセバスティアヌスの絵には、これほど美しい空を描いた絵は他に無いのではないかと思われるほど美しい空が描かれてます。

この顔料の話は別の機会に譲りますね。

その空には彼が命をかけて求める神の姿が描かれてます。画の一番上左、雲の中です。よく観ないと気付かないかも知れません。ルネサンス時代ですから古典的な神の描写です。

セバスティアヌスは右の空を見上げ、神は左の空、つまり神の姿が見えないまま死に行きます。事切れるそのときに空を仰ぐセバスティアヌスのひたむきな眼差しは、そこに居る神に気付かず、しかし、最後まで揺ぐこと無く神を求める曇りのない美しい心を表しているのだろうと感じます。それだけで無く、求められた神は最後まで沈黙を通し、しかし、確かに空で待って居るのです。

マンテーニャの絵には、一方が沈黙を続ける中で生まれる、求める者の愛と、求められる者の愛という異なる二つの美しい愛の表現と共に、沈黙の神を求めるということへの救いが語られているように感じます。

※因みにボクはキリスト教ではありません。必要に迫られて学んだだけです。高崎守弘

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詩篇31:1 【指揮者によって。賛歌。ダビデの詩。】

主よ、御もとに身を寄せます。とこしえに恥に落とすことなく
恵みの御業によってわたしを助けてください。あなたの耳をわたしに傾け急いでわたしを救い出してください。砦の岩、城塞となってお救いください。あなたはわたしの大岩、わたしの砦。御名にふさわしく、わたしを守り導き隠された網に落ちたわたしを引き出してください。あなたはわたしの砦。まことの神、主よ、御手にわたしの霊をゆだねます。わたしを贖ってください。

芸術、感動の共有

  • 2021/02/10 11:31
  • カテゴリー:芸術

芸術は不可解なときが多いです。以下画像は子供のような無垢の心を持ち続けたピカソの作品です。

 

ピカソが自転車のハンドルとサドルを見たときに牛の頭を想像したそうです。その牛が喧噪の中で闘牛士に突進していった牛か、カタロニアの田園風景の中で反すうしていたのかわかりません。でも、できあがった牛の頭を見ると、真っ直ぐこちらを見つめる逞しい牛に見えます。

「ある日、ぼくはサドルとハンドルを手にするとそれを重ねて雄牛の頭をこしらえる。上出来だ。でもその直後、雄牛の頭を投げ捨てなければならなくなったとする。通りか溝か、場所はともかくそれを放り出さなければならない。その時、行員が通りがかって、それを拾い、この牛の頭を使えば自転車のサドルとハンドルが作れそうだと思う。そんなことになればすばらしいだろうな。これこそ変身の力だ。」

このピカソの言葉は、思いの共有、感動の想起を語ったのだと思います。だから 「ハンドルとサドルであることが認識されないと、この彫刻は面白みのないものになってしまう」 と言ったのだと思います。

 

マチスが弟子の作品中の赤い色を見て「赤を描くならもっと綺麗な赤を」と言った言葉も理解の助けになります。

グーグル画像検索⇒マチス



アンディ・ウォーホールが日本に来たときに『イマ人を刺激する』と題して、右肩にテレビのテストパターン(カラーバー)を持ちながら「アカ、ミドリ、アオ、グンジョウイロ…キレイ」と言ったのも有名です。

http://24.media.tumblr.com/tumblr_kvteqqP0Kc1qaajkio1_500.gif

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