カステルヌオーヴォ=テデスコ
- 2026/07/30 15:11
- カテゴリー:音楽芸術
◆ ハリウッドでの教育活動
- ジョン・ウィリアムズ:『スター・ウォーズ』や『ジョーズ』などの映画音楽を手掛けた巨匠
- ヘンリー・マンシーニ:『ピンク・パンサー』や『ティファニーで朝食を』の「ムーン・リバー」を作曲
- ジェリー・ゴールドスミス:『エイリアン』や『オーメン』などの名作スコアを作曲
- アンドレ・プレヴィン:映画音楽だけでなくクラシックの指揮者・ピアニストとしても活躍
浜松市中区でクラシックギターを弾いてます。一緒にギターを弾きませんか?
ユーザー「takasaki」の検索結果は以下のとおりです。
この写真は、よく知られているモーツアルト像です。ウィーン市心に位置する王宮庭園にあります。像そのものよりも足元のト音記号の方が記憶に残っている方も多いでしょう。ウィーンのガーデナーさん達は職人として本物です。
年金受給開始と共に、数十年間のデータを公開してきたサーバーとドメインを徐々に止めざるを得なくなりました。
停止の理由は維持費です。数年で数倍に跳ね上がり、今年に入ってからの維持費高騰の加速は異常です。国民が3分の2の議席を与えた政府は何をしているのでしょう。
これまでのデータは、打ち込んだ文字数だけでも原稿用紙にして数万枚です。これが人の死の意味なんでしょうね。人が死ねば、その人の個人の記憶は消え去ります。
数十年間かけてある程度はネットに公開しましたが、PCに溜まったままの資料で一度も公開してないものもあります。
今回の内容は、こちらのブログとは直接の関わりはありませんが、この場を借りて終活が終わる頃まで公開しておきたいと思います。後期ロマン派とか歴史主義に関する事ですから、このブログのテーマでもあります。
名誉称号をいただいたウィーン文化講座なら半日2回分の有料講演の内容です。この講義で大切なことは、文化に対する意識です。本来はドイツ語で開催されるべき内容ですから一般の日本人には少しハードルが高いのは承知してます。よろしければどうぞ。
さて以下の写真は1900年時点でのウィーンのモーツアルト像の貴重な写真です。像の背景と向いている方向が問題です。
Unsere Monarchie - Die österreichischen Kronländer zur Zeit des fünfzigjährigen Regierungs-Jubiläums seiner k.u.k. apostol. Majestät Franz Joseph I., Georg Szelinski k.k. Universitäts-Buchhandlung, Wien 1898
The monument for W.A. Mozart by Viktor Tilgner on its old place at the Albrechtsplatz (todays Albertinaplatz'))' in Vienna
モーツアルト像が彫刻家ティルグナー作であることは、ウィーンの義務教育で学ぶ常識です。義務教育同等と説明を受け、受講したウィーン州立学校の講義で学んだことです。
日本で教鞭を取るウィーン国立音大卒業の大先生に、年金までウィーンに留まり音楽学校の先生、つまり地方公務員だったと自己紹介をしたら、モーツアルト像の写真がプリントされているファイルをプレゼントしてくださいました。
そのときに思わず「ティルグナー」と声が漏れ、それが耳に入った先生が直ぐに「ウィーンのモーツアルト像です」と訂正、ストレスで血圧が上がりましたが、7年間の音楽留学なんてのはその程度ですから仕方がないです。「無知の知」は学びの基本だということも再確認できました。
さて、ウィーンに行けば国立オペラを訪れ、カフェ・ザッハーやカフェ・モーツアルトを利用することでしょう。
ザッハーの話は有名ですから検索すれば調べられるかもしれません。過去に詳細な歴史を公開していたのですが、前述のように今はネットから消えてます。気が向いたら、というか時間と体力が許せばこのブログにアップします。
ここから先はあまり知られていない話です。
上記の写真では、像の背景が現在はホテル・ザッハーになってます。王宮庭園ではなくト音記号の花壇も無いのです。またこの写真が撮影された1900年は、まだ Café Mozart (Wien)がありません。
モーツアルト像オリジナルロケーションの写真は、もう一つあり、下記はモーツアルト像の序幕(1896年4月21日)当時の写真らしいです。
写真で右に写っている建物は日陰で暗いですが、1869年5月25日がこけら落としのウィーン帝国立&王立歌劇場、つまり現在の国立オペラ座の背中です。

それでは、歴史を紐解きましょう。
民衆王または改革王と称された神聖ローマ皇帝ヨゼフ2世(-1790)の整備で劇場と歌劇場が分けられ、次の皇帝レオポルド2世(-1792)の次の皇帝フランツ(-1835)の次の皇帝フェルディナンド(-1848)の次の皇帝フランツ・ヨセフ(1916)によって帝国オペラの建物が造られました。これが、よく知られるウィーン国立歌劇場です。
それぞれのハプスブルク皇帝と時代背景は長くなるので割愛。
このオペラ座の除幕式で皇帝のお褒めの言葉が無かったことから、建築美術家が二人とも死を選ぶことになる、その宮廷オペラ座です。1869年といえば後に続々と完成するリンク通りの公的建造物では最初の建物だったのもあり注目が集まりました。
除幕式で皇帝のお褒めの言葉をもらえなかったヨーロッパ最高の建築美術家たちは自ら死を選ぶことになります。皇帝の言動の重さを知ったフランツ・ヨセフはそれ以降は常に同じ言葉を発するようになります「Es war sehr schön, es hat mich sehr gefreut!/いとめでたし、朕いみじ嬉し!」
この帝国オペラの工事はリンク城壁が取り壊されリンク通りとなったときです。多民族帝国の首都ウィーンの人口が数倍に膨れ上がり、さらに増加が加速していた頃の話です。
直径1キロ程度のウィーン旧市街地を囲む環状道路「リンク通り」は、アジア民族の侵入に対して12世紀末にバーベンベルクによって建造され、オスマントルコの脅威が大きくなったときには歴代のハプスブルク皇帝によって規模が大きくされ続け、最後にはナポレオンの炸裂弾の前に屈した城壁の名残です。
余談ですが、城壁の外に葬られたモーツアルトの墓地は、オスマントルコの脅威が過ぎ去った1700年頃にオイゲン公の進言で皇帝レオポルド2世が建造した外環状城壁のすぐ外です。19世紀末の皇帝フランツ・ヨセフの工事の後、現在は外環状道路ギュルテル(ベルト通り)になってます。
外環状城壁の城門から南方向に伸びる街道のあたりに、街道先のベネチアの氏神様マルコを祀った墓地が置かれ、それをサン・マルコ墓地/sankt marxer friedhof と呼びました。
閑話休題。カフェ・モーツアルトの始まりはモーツアルト没後3年にこの場所に最初のカフェ開店からです。資料や文献を調べても見つからなかったのですが、ケルンテン門劇場の一角だった可能性があります。
時は中産階級の時代の始まりです。
その後、このカフェを引き継いだ Simon Corra は、1825年にウィーン初の路上喫茶を始めてます。ユダヤ人さすがです。
次にこのカフェを持ったカッツマイアーは1840に Café Katzmayerとしてカフェを引き継ぎ、ジャーナリスト、俳優や文学家が集るようになります。世界遺産として知られるウィーンのカフェ文化の始まりです。
ですが、このカフェは建物の解体で幕引きとなります。皇帝フランツ・ヨセフ勅令「Es ist Mein Wille/朕自らの決断である(20.Dez.1857)」で知られるリンク城壁の解体とリンク通りの整備のためです。検索 ⇒ es ist mein Wille Franz Joseph
この皇帝勅令の影響で、このあたりにあった旧ケルンテン門や、ベートーベン第9初演のケルンテン門劇場も解体されました。解体されなければモーツアルト像はケルンテン劇場前に建ったことになります。
建物解体で一度無くなったカフェ再開は、一次大戦の暗闇から抜け出た1918年10月10日の「Mozart-Restaurant」開店で、1929年からは今と同じ「Café Mozart」になります。
上記の写真に見られるモーツアルト像は、1896年4月21日に除幕のオリジナルです。つまり先ずモーツアルト像が置かれ、その後1918にモーツアルト像の背後に再開したレストランをモーツアルトと名付けたわけです。
現在のモーツアルト像は、2次対戦の空爆で壊され、戦後の混乱の中で名も無き一人ひとりのウィーン子たちにより瓦礫が集められ、王宮庭園に再現されたものです。文化を大切にするウィーンらしい逸話です。
同盟国のロシアに裏切られた歴史は義務教育の他に社会教育でも明確に伝えられてます。良し悪しとか好き嫌いではなく、実際に歴史に刻まれた体験の確認です。日本とは違いますねぇ。
もちろん、観光客にとってはモーツアルトとかティルグナーよりも、ウィーン市立公園管理課のガーデナーの素晴らしい仕事「ト音記号の花」の方が目につくようです。このガーデナーさん達は世界最高の職人さんです。
なお、映画「第3の男」のカフェ・モーツアルト内から見える景色は、2次対戦直後の様子です。同盟国を裏切ったロシアがねらった国立歌劇場から爆弾がそれて、オペラ座裏手が壊され、それでモーツアルト像も瓦礫と化してます。
制作した彫刻家ヴィクトール・ティルグナーです。

彼のその他の作品などは以下:
以上、インタビュー通訳業務のときにカフェ・モーツアルト経営者 Querfeld 夫妻から伺ったうろ覚えの内容に加筆しました。
ティルグナーからマカルトを経てブルックナーに話を進めたかったのですが、疲れたので続きは次回にします。誰も知らない貴重な文化記録を多く知りますが、公開は体力と時間次第です。5歳児にとっての10年は人生の倍もありますが、70歳の老人にとっては人生の7分の一です。体力と体調の問題もあり、老人には時間が残されてないのです。
ナイロン弦ギターを弾く人の多くは右手の爪を伸ばしています。
これまで多くのギター弾きさん達を観察してきて感じていたのですが、音に厚みがない人ほど爪の長さが長くなるようです。
爪の形はジョン・ウィリアムスの爪が参考になると思います。短いです。
https://www.youtube.com/watch?v=bmjrznm_oaQ

彼の指先が丸くなく平らだから爪も平らな形に整えてないのか、それともタッチ速度が速いことから爪の形による音への影響が無いのか、とにかくワルカーさんも爪の手入れには無関心で少々ギザギザの形でも出てくる音は誰よりも艷やかな音でした。
「プラテーロとボク」
作曲家テデスコの曲は全28曲で、約3時間の大作。多くの場合、その中から数篇をピックアップするようです。
プラテーロ(Platero)は、ロバの名前です。『プラテーロとわたし(Platero y Yo)』は詩人とロバとの絆と友情の思いを綴った散文詩集です。
スペインの詩人フアン・ラモン・ヒメネス(1881-1958)は、スペインのアンダルシア地方の田舎町モゲールに生まれ、10代でセビーリャ、バルセロナ、マドリードの新聞に詩を投稿、次第にその名を知られるようになりました。
15歳でモゲールを出てセビーリャ、マドリードと移り住んだが、愛する父の死をきっかけに神経症を患いサナトリウムでの療養生活の後、24歳で生まれ故郷のモゲールに帰り静かに暮らすようになります。
この故郷での数年間、家に飼われていた一頭のロバ(プラテーロ)と心の友として通じ合い、あるときは自身の目を通して、ある時はモゲールの自然 の中で、またある時はプラテーロの目を通して、人生の機微を詩に綴っていきました。

詩人の傍にはいつもプラティーノ色、つまり白金プラチナ色のロバ「プラテーロ」がいる。病んだ詩人はときに狂人のような扱いを受けながら、プラテーロと共に感じたことを詩にしたためてゆく。
彼が描くのは 親友のプラテーロのほか、 様々な動物や植物、馬、犬、鳥たち、蝶、花や木々であり、さらには虐げられた人々、社会的弱者にも慈しみの目が向けられます。老人、ジプシー、結核の少女…、普通の人々が目を向けない、あるいは見ても見ないふりをするような者たちにも注意深く眼差しを向けます。
ヒメネスはその後1936年にスペイン内戦が起こると出国し、アメリカ、キューバ、プエルトリコで活動。
1951年以降は妻セノビアの故郷であるプエルトリコに落ち着きます。1956年ノーベル文学賞受賞の直後に妻のセノビアが死去、2年後の1958年にはヒメネス自身も妻と同じ病院で他界。ヒメネス夫妻の遺骸はスペインに送られ、プラテーロと同じくモゲールの地に眠っている。

138の詩から成る詩集「プラテーロとわたし」は1914年に出版され、全世界で読まれることとなり、1956年にノーベル文学賞を受賞しました。
作曲家マリオ・カステルヌオーヴォ=テデスコ(1895-1968伊)は、この中から28編を選び、朗読とギターのための「フラテーロと私(OP.190)」を作曲しました。
この曲集はヒメネスの詩の持つ心を、よく反映していて素晴らしく、しばしばコンサートに取り上げられたり、レコーディングされて親しまれています。特にギター部分が優れた音楽となっており、ギター独奏曲としても広く流布してます。
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ギター譜は一種類のみが出版されており、テデスコ曲の常で、6弦ギターで同時に8つの音の和音であったり、押指の間隔が広すぎて演奏不可能である程度で、変な運指指定が無いのは助かります。たぶん作曲家が書き下ろした楽譜をそのまま出版したのではないかと思われます。
この曲を日本語ギター朗読で演奏するときは、翻訳が問題になります。過去に独日翻訳業務にも多く関わったことから、日本語の難しさ、何よりも単語のタイミングやリズム感の難しさは身にしみてます。
最近は、宣伝の影響で文学家ではなくイギリスで学んだ歌手の訳がギター朗読で使われることが多いようです。
スペインと言っても実際には文化圏が分かれており、アンダルシア地方はアルハンブラ宮殿や、マラゲーニャの曲名で知られる北アフリカの目と鼻の先に位置するマラガ港など、ムーア人の影響が独特の文化を形成してます。
日本や英国ような穏やかな気候とは程遠く、突き刺すような強い光の元、砂漠に近い荒れた丘陵にオリーブ畑が連なってます。アンダルシアのロバはオリーブオイル絞りの労力です。
そこに生活する人々は、ゲルマン民族の大移動で流入したゴート系とアフリカから流入したムーア人との混血で、肌は浅黒く顔立ちがはっきりとしていて、素朴ながらも荒削りな人間性から独特の哀愁も感じられます。そして、この特異さがロマン派の流れから生まれたスペイン民族学派の大きな魅力です。作曲家テデスコはその魅力をスペインとは切っても切れない関係のギターという楽器で表現してます。
この曲は言葉の壁が薄い西洋人にとって有利です。同時にネイティブ日本人として宮沢賢治の言葉のリズムが人類史上で最高の芸術性を持っていることも感じます。
人類の遺産とも言えるノーベル文学の世界を再現するという視点では、知識と経験の乏しい音楽家の訳ではなく、イベリア最高の文学にふさわしい香り高い日本語訳でギター朗読が実現できればと強く願います。20世紀最高の文学芸術なのです。
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■ ヒメネス作「プラテーロとわたし」を作曲家テデスコのギター伴奏で朗読するときに良い日本語訳は?
◆ AI による概要
ヒメネスの『プラテーロとわたし』をカステルヌオーヴォ=テデスコのギター伴奏で朗読する場合、歌手・波多野睦美による新訳版がもっともおすすめです。音楽との融合を前提として、スペイン語の語感とリズムを最大限に生かして翻訳されています。
◎ おすすめの日本語訳
【波多野睦美(訳)】音楽家自身が日本語訳を手掛けた、演奏と朗読のための決定版です。ギターの音色を邪魔しない美しい言葉選びと、物語の感情を豊かに伝えるテンポ感が特徴です。
山本容子さんのイラストを見てみたくて波多野睦美(訳)を買いました。訳は期待してはいませんでしたが、やはり詩になってなくて、ガッカリ。この訳者の朗読CDを借りて聴きましたが駄物でした。何故こんな人を起用したのか理解に苦しむ。プラテーロとわたしの中にある旋律が壊れて感じられて残念でした。読まれるなら伊藤武好、伊藤百合子さんの訳が良いと思います。詩画集でしたら、石井洋子訳、石井崇(絵)が良いと思います。(アマゾンレビューより引用)
【伊藤武好・伊藤百合子(訳)】理論社から出版されている広く親しまれている訳です。日常に寄り添う温かみがあり、朗読しても情景が鮮やかに浮かびます。
【長南実(訳)】岩波文庫の訳です。文学的な深みがあり、アンダルシアの情景をしっかりと感じ取ることができます。
◎ 朗読を成功させるポイント音楽とのタイミング
テデスコのギターは単なるBGMではなく、詩の情景を描写する「もう一つの声」です。演奏のテンポを崩さないことが大切です。
◎ トーンの調整
語りかけるような優しい声のトーンを意識すると朗読が上手くいきます。
◎ 訳の比較
「プラテーロ」への呼びかけ方など、訳者によってニュアンスが変わるため、いくつか朗読しやすいフレーズを抜き出して試すのがベストです。
オンラインコンサートのお誘いです。
◆ 重松京一郎 ピアノリサイタル ◆
【日時】2026年6月24日(水)
19:45 開演(21:00終演予定)
【会場】オンライン(ネット配信)
https://corom.app/mp/xHJkP?ticketId=NbkgNxxlXQHTJWpB0CUP

【プログラム】
・1つ目の巨人たち
(ジャン=フィリップ・ラモー)
・ティク・トク・ショク、または オリーブしぼり器
(F.クープラン)
・プレリュード ハ長調 Op.12-7
(S.プロコフィエフ)
・コラール前奏曲 BWV639
「イエスよ、わたしは主の名を呼ぶ」
(作曲J.S.バッハ、編曲W.ケンプ)
・アダージョ ロ短調 K.540
(W.A.モーツァルト)
・「瞑想」Op.30-1:無言歌集より
(F.メンデルスゾーン)
・即興曲集 Op.90 から第1番 ハ短調
・即興曲集 Op.90 から第3番 変ト長調
(F.シューベルト)
・間奏曲 Op.117-3
(J.ブラームス)
・喜びの島
(C.ドビュッシー)
18世紀フランスのラモー、クープランから、バッハ、モーツァルト、シューベルト、ブラームスを経て、ドビュッシーへと至る多彩な作品をお届けいたします。それぞれの時代と作曲家が描く豊かな音楽世界を、ごゆっくりお楽しみいただきたいです。
ピアノ:重松京一郎
2026年6月24日19:45
コロムオンライン
浜松のギタリスト北島康成さんからウィーン永住のボクの元にメールが来て「この曲ご存知ですか?アンコールに良いです」と教えていただいたのは30年以上も前のことだったのではないかと思います。
数多の動画からタヴィ・ジナリウさんの演奏です。「ギター動画」サイトで知りました。
https://youtu.be/DdAfbrkgNbo?si=aGygMchTw7LBFRif
【元URL】レファレンス協同データベース
【提供館】国立国会図書館(National Diet Library) (1110001)
【管理番号】A131001162236
【質問】雑誌「現代ギター」掲載ルイゼワルカーの記事
【当館請求記号】Z11-101
【タイトル】現代ギター = Gendai guitar
【並列タイトル】Gendai guitar
【出版事項】東京 : 現代ギター社, 1967-
【記事名】ルイゼ・ワルカーの生涯
【訳者】須磨一彦
1 巻号・年月 31(1)通号383 1997.1
ページ pp.20-23
2 巻号・年月 31(2)通号384 1997.2
ページ pp.42-46
3 巻号・年月 31(3)通号385 1997.3
ページ pp.41-46
4 巻号・年月 31(4)通号386 1997.4
ページ pp.40-44
5 巻号・年月 31(5)通号387 1997.5
ページ pp.40-44
6 巻号・年月 31(6)通号388 1997.6
ページ pp.41-44
7 巻号・年月 31(8)通号390 1997.8
ページ pp.40-44
8 巻号・年月 31(9)通号391 1997.9
ページ pp.41-43
9 巻号・年月 31(10)通号392 1997.10
ページ pp.41-43
10 巻号・年月 31(11)通号393 1997.11
ページ pp.42-44
11 巻号・年月 32(1)通号395 1998.1
ページ pp.40-44
12 巻号・年月 32(2)通号396 1998.2
ページ pp.41-44
13 巻号・年月 32(3)通号397 1998.3
ページ pp.41-43
14 巻号・年月 32(4)通号398 1998.4
ページ pp.24-29
15 巻号・年月 32(6)通号400
ページ pp.38-41
16 巻号・年月 32(7)通号401 1998.7
ページ pp.42-46
17 巻号・年月 32(8)通号402 1998.8
ページ pp.44-46
18 巻号・年月 32(9)通号403 1998.9
ページ pp.44-46
19 巻号・年月 32(10)通号404 1998.10
ページ pp.44-46
20 巻号・年月 32(11)通号405 1998.11
ページ pp.44-46
21 巻号・年月 32(12)通号406 1998.12
ページ pp.42-45
22 巻号・年月 33(1)通号407 1999.1
ページ pp.44-46
23 巻号・年月 33(2)通号408 1999.2
ページ pp.42-46
24 巻号・年月 33(3)通号409 1999.3
ページ pp.45-46
*第24回目に、当該連載が完結したことが記載されています。
【記事名】追悼 ルイゼ・ワルカー
巻号・年月 32(4)通号398 1998.4
ページ pp.22-23
ピアノとの2重奏が続いてます。
ギターとピアノの重奏は音量差の克服が一番の課題です。舞台ではピアノの蓋を閉め舞台の少し奥にセットし、ギターはなるべく聴衆に近いところで弾くのですが、ギターは表面版の向く方向に響きますからピアニストにギターの音が届きません。
40年前のことですが、ギター製作家のハウザーさんのところでアンヘル・ロメロ氏のための協奏曲専用ギターを弾いたことがありました。楽器が大きく重く、弦高も高くして音量に的を絞って制作されたコンチェルト専用楽器です。通常のギターとは別物でした。
当時アンヘルさんは年間300回以上もアランフェスを弾いていて、ウィーンの楽友協会ホールでも2度くらい弾いたと記憶してます。これまで聞いたアランフェス公演で一番安定していたアランフェス協奏曲でした。
当時は音響機器の性能が発展途上で会場によってはマイクを通すと薄っぺらい音になり勝ちでした。それでアランフェス専用の楽器を考えたのでしょう。
10数年前だったと記憶してますが、母校ウィーン国立音大でギターのための音響機器に関する公開講義がありました。様々なマイク、エフェクターやアンプ、スピーカーの可能性についての考察でした。
時代の流れなんでしょうね。今日では多くのギタリストがオーケストラ協奏曲を弾くときにマイクを通して音を増幅してます。半世紀前と比べると音響機器も変化しギターの音色に近い音が再現できるようになってきたからです。
ウィーンから浜松に引き上げてきて後輩たちの公演のお手伝いで様々な音響機器を見てますが、音響機器にはお金をかけないと良い響きが得られないのと、装備が大きくなり台車に乗せての運搬が必須です。
しかし、若ければ別ですが昨年の長期体調不良の後は運搬の体力は無く、まして2026年秋の東京公演に運搬するのは大仕事で、運搬費が公演の支払額を上回ります。
しかし、ピアノとの重奏には音量差の克服が必須だと感じてます。
昨年ピアノとの重奏が始まって直ぐに、試しにギターマイクと小型アンプを買ってみましたが、使い物になりませんでした。
かと言って諦めるわけにもゆかないので、引き続き70の手習いで音響機器について調べてます。
幸い約1年間も諦めずに気長に調べる間に技術革新も進み ギター専用のワイアレスマイクが市場に出ました。新製品です。
この『Xvive U8(エックスバイブ)』という製品は、アタッチメントを替えバイオリン専用マイク Xvive U9 としても販売開始とのことで、いくらか安心でき、小型で持ち運びが楽なこと、価格が数万円と安価なのもあったので導入を決めました。

このマイクはハイポジションの指板上にクリップで固定するため、マイクと楽器の距離が一定に保たれます。これにより意図しない音量変化が避けられ、音色と音量共に安定します。
また、従来のギター用マイクのようにサウンドホールの中に入れるのではなく、弦と筐体で作られる響きを楽器の至近で拾います。
サウンドホール内にマイクを差し込むと、ワォワォと反響だけが大きすぎたり、かと言って弦を撫でて弾くと耳障りが良いだけの軽音楽のような演奏になります。
このワイアレスシステムは電波を6つのチャンネルから選ぶことができ、電波干渉に対応できるので安心です。電波は20メートル以上飛ぶとのことですが、受信機に延長ケーブルを付ければもっと離すことも可能とのことで一応5メートルの延長ケーブルを購入しました。
もちろんギター専用とはいえ所詮は機械ですから音色に多くを求めるのは無理があるようです。ギターの音色を損なわないように生の音とマイクの音の音量バランスを設定する必要があります。
それから、2回の公演で使用してみたところ、強弱の変化と音色に留意して弾く必要が感じられました。
今後の課題としてはギター筐体の中にマイクを入れるのと違い、弦の音だけで音の伸びが無く不自然なところが気になってます。この問題は、引き続きエフェクターやアンプについて調べれば、たぶん解決できるのではないかと感じてます。
昨年からピアニストの重松恭一郎さんとの2重奏が続いてます。次の公演は5月02日です。
さて、今回は数十年前のヤマハC5の良く響くピアノが入手できたとのことで、彼の自宅でお披露目のオンライン公演でした。お越しくださった方々に心から御礼申し上げます。
このヤマハC5というピアノは1980年代前半から生産され、その後2012年頃にCXシリーズへの移行で生産終了となったピアノです。数十年間で共鳴板とピアノ筐体が良く乾燥し、これまで彼が持っていたヤマハC3と比べてより華やかで心地良い響きのピアノです。
ピアニスト重松恭一郎さんは、昨年10月から毎月最後の金曜夜に「コロムコンサート」でオンライン公演をしてます。
彼のコンクール優勝や特別賞など等はフランスものです。特にドビッシーやラベルに代表されるフランス印象派の演奏には定評があります。毎月最終金曜夜にお時間がございましたら是非どうぞ! 芸術楽器としてのピアノの魅力が溢れる珍しい奏者だと感じてます。

TikTokでバズった2026年3月にロサンゼルス空港で撮影された動画です。知っている人にとっては常識なのですが、空港チェックイン時の預け荷物の現場での扱いとして知っておいても良いと思うので投稿しておきますね。
@goyamariacookie
I hope your guitars are ok
losangeles airport
チェックイン時に預け荷物にしたギターの扱いの様子を撮影したとのことです。
空港で働く移民が労働者がカートからアスファルト路上にギターを投げつけてます。空港係員はそれを見ても注意せず何事もないかのごとく通過してます。
この労働者は、重ね着で頭も頭巾で防寒してます。横を通過する別の係員との服装の違いから、お里が赤道直下など気温の高いところからの移民と思われます。移民をまるで奴隷のように薄給で使った結果ですから、今後の改善は期待できません。日本も遅かれ早かれ同じ道を歩むと考えるべきでしょうね。
安全を期すならチェロ同様に楽器用の座席を確保するか、いくらか安く済ませるならフライトケース+ケースの保護枠で対応するしかないでしょうね。その場合は、事前にバルク荷物(bulk)扱いの申込みをしておきましょう。