◇ AI による概要
ルネサンス期またはそれ以降の音楽において、8分の6拍子の曲を4分の3拍子のように演奏する(あるいはその逆の)技法は、ヘミオラ(hemiola)と呼ばれます。
これは、拍子のグループ分けを一時的に変更することで生じるリズム的な錯覚や強調効果です。
8分の6拍子は、通常、8分音符3つを1つのグループとする2拍子系(1-2-3, 4-5-6)として感じられます。
4分の3拍子は、通常、4分音符1つを1つの拍とする3拍子系(1-2-3)として感じられます。
ヘミオラは、8分音符2つを1つのグループとする3拍子(4分の3拍子のリズム)として演奏することで、本来の8分の6拍子のアクセントパターン(2拍子系)とは異なるリズム感を生み出します。特にバロック音楽の終止(曲の終わり)部分などで頻繁に用いられた技法です。
生徒さんがポンセのプレリュード(Weiss改め)を練習したいとのことで、重い腰を上げることになりました。3分程度の魅力に溢れた小品ですが、魅力を伝えるための労力が大きい割には、あっという間に終わってしまうのが辛いところです。

この曲を演奏するにしても聴くにしても知っておいた方が良いことがあります。19世紀末からの近代ギター史です。
ギターという楽器の発生は19世紀の幕開けと同時です。産業革命により生まれた庶民の音楽、そしてギターが地位を固めたときです。
ですからギター楽器の形がビーダーマイヤー様式なのです。
19世紀前半はギター黄金期で、教育者としてはカルカッシやカルリ、演奏作曲家としては、ソルとジュリアーニ、アグアドの名が知られてます。
ですが、19世紀の半ばからは、後期ロマン派の流れの中で、ギターは音楽史の表面から消え去ります。
ソルやジュリアーニの和音は、複雑になってきた響きに対応できませんでした。密集ではなく開離和音に近い響きは、19世紀末のタレガのカンパネラ和音が始まりです。そしてギターに複雑な代理和音やテンションコードが使われるのは南米のバリオスの登場を待つことになります。
音楽史から姿を消したギターが表舞台に再び浮上したのは、セゴビアの功績です。
青年だったセゴビアが、タレガのような芸術としてのギター奏者を目指したときに、大きな壁がありました。ギターは似たような曲ばかりだったのです。ソルとジュリアーニ、タレガだけでは毎日の公演プログラムを組むことができません。
しかし、セゴビアの時代は、ピアノに代表される音楽の響きが複雑になってました。作曲と演奏の分業の始まりです。自作自演のタレガのスタイルでは対応が難しくなっていたのです。
セゴビア自身が回想で語ってますが、ギターレパートリー拡充のために、トロバから始まり、ポンセ、テデスコ、タンスマンと多くの作曲家に現状を説明し、作曲を依頼してゆきます。
多くの作曲家に新作を依頼したセゴビアの初演によりレパートリー拡大がされてゆく中で、ソルやジュリアーニの前はギターそのものが無かったことから、セゴビアはルネサンスやバロック時代のリュート作品、そしてスペインのビウエラ音楽にとレパートリーを拡大します。セゴビアの一世代前、タレガの二人の高弟のうちの一人、プジョールの古楽研究の功績は大きいですね。
そんな中で生まれたのが、このプレリュードです。セゴビアによる初演ではバッハの友人だったSLヴァイス作として発表されました。それにより貴重なバロック作品がギターレパートリーに加わりました。もちろん作曲はポンセです。
当時は、ギター弾きにとっては、ギター楽器が存在しなかった時代のレパートリーを前古典派と呼んだ頃です。そもそもバロックとかルネサンスという音楽様式について研究途上で、ゲルヴィッヒ、マンロウ、ブリュッヘンやクイケン、アーノンクールなどの再現芸術家が変人扱いされるほどでした。
さて、この曲はバロックのごとく書かれた前奏曲です。8分の6拍子です。
もちろん L.S.Weiss(1687-1750) のバロック作品ではなく、メキシコ生まれイタリア&ドイツで新古典主義を学んだマヌエル・ポンセ(1882-1948)の作品です。
この曲の演奏は、冒頭に提示されるテーマのアゴーギクをアクセントで明確に積み重ねることが表現の要になります。まるでバロック作品のシャコンヌのごとくしつこいです。
新古典主義でも古典と相反するバロックのヴァイスの名で発表されたことが演奏時の解釈のポイントになります。
またギター奏者ではないポンセが苦肉の策で選んだ手法は、和音を避け旋律を重ねる手法です。練習はゆっくり。声部が折り重なりポリフォニックに曲が構築されているので惑わされやすいです。
ポンセがこの曲を書いた当時は、絵画でもルネサンスに傾倒することによってはっきりとした様式美を追求した、静寂なしかし失敗すると無味乾燥な作品が生まれてますが、この曲の場合、建築における歴史主義と同様にロマン派の派生とも考えられます。
この曲は音を出すだけなら初心者でも可能ですが、戸惑いなく演奏し聴くことのできる偽りのないロマン派と異なり、疑似バロックですから、ポンセとセゴビアのギターレパートリに対する意図を考慮したアナリーゼが必須になります。
曲のアナリーゼはシェイクスピアではありませんが「ヘミオラ」か「アウフ・タクト」か、それが問題です。この選択と解釈、特にテーマのアゴーギクで曲が決まります。
バッハのチェロ組曲1番前奏曲と同様に騒がしくならないように流麗に盛り上げます。そういう意味ではまさしくバロックです。
演奏時には、アクセントによって表現される躍動感無くして曲の魅力が引き出せない、でも新古典派らしく様式美を崩すこともできない、そして曲の魅力は終始一貫してバロックのドラマです。
躍動感という意味ではレンブラントよりもルーベンスなのです。小品の割に長いフィナーレでの追い込みが素晴らしく、ギターが一番鳴るE-Durの和音が最後を飾ります。
つまりアンコール程度の小品ながらもなかなかの難曲だということです。
ですから、他の曲とアプローチが異なり、先ずは座学からという曲です。小品の名曲ながら、なかなか手強い曲です。以上、参考になれば幸いです。わからないとか興味を持った方は連絡くださいね。