中世に繋がってゆく古代
- 2026/03/30 15:47
- カテゴリー:その他
「古代の古典と、ベートベンの古典」をタイトルにしたいのですが、前置きが必要になります。
ヨーロッパの時代区分は「原始時代」「古代」「近代」の3つの時代に分けられるそうです。この区分けでは、今つまり現代は「近代」の一部と考えるわけです。
原始時代は道具の加工方法で分けられ、石なら新石器時代や旧石器時代、金属なら青銅器や鉄器、土器なら縄文とか弥生ですね。
この原始時代の音楽は録音が無く記譜もほとんど残ってません。ですから、音に思いを乗せるという意味では今よりも強い感性を伝える手法だったろうと想像する程度です。
原始時代の次は古代です。
ヨーロッパ古代古典(classical antiquity)は、古代ギリシアと古代ローマの文化だそうです。
古代の文化史はメソポタミアや古代エジプトの文化が始まりと考えられ、それが古代ギリシアに引き継がれ、それが言葉だけを変えてそのまま古代ローマに伝わります。
この古代ローマからがヨーロッパ史です。原始時代同様に古代についても録音も記譜も絵もあまり残されてません。
ところで、突然生まれた高度な文明メソポタミアのシュメールですが、その前の文明は縄文で、今のところそれ以外は見つかってません。それどころか縄文文明に関する発見は増える一方です。
縄文は数千年単位ではなく数万年単位ですから、桁が違うほど強大です。中東を基とする一握りの人々にとっては、この揺るぎない事実は足元の瓦解に繋がるので、なんとしても潰すべき史実だというのが大きな問題です。そして、この一握りの人々が政治資金や学術研究費も含めて世界の富の9割、ほぼ全てを握ってます。
閑話休題、古代の音楽を今に伝えるのは祈祷や占い、あとは軍楽程度、その他には、哲学として音楽関連の記述が見つかります。
哲学が学問として成立したギリシア哲学では、音楽を大きく2つに分けて捉えたそうです。アポロンの竪琴で知られる「アポロン的」とパンフルートに代表される「ディオニソス的」の両極とする捉え方です。それによれば、ギターは「アポロン的」な楽器です。つまり魂を鼓舞するのではなく魂を慰める方です。
当時は音楽を学問として捉えたことから、「クルトの投石運動」の他、たぶん「繰り返し後3回目の変化」なども、古代ギリシア文明から現代まで繋がってきた形態だろうと思います。
古代の音楽は、このような学問としての記述程度で楽器はほとんど残ってません。
古代のもので残っている楽器は、アクインクム(ブダペストの古称:古代ブダの北)に水圧オルガンの欠片が残る程度です。この欠片をもとに古代ローマ帝国の絵画から再現されたオルガンは、立奏オルガンで、奏者が鍵盤に向かって立っている箱が体重で沈み込むことにより生まれる水圧でパイプに風を流すというオルガンです。
弦楽器も残ってはいますが、例えば亀の甲羅を共鳴腔にしたものぐらいで、アポロンの竪琴のような木製品は失われてます。因みに、この大型の竪琴のことを「キタラ」と呼んだのが「シタール」「ギター」「チター」などという言葉の元になったと、古代ギリシア歴史書で読んだことがあります。
現代まで繋がる音楽が残るのは、古代の次の中世の時代以降です。やはり録音がなかったことから「記譜」のみで、あとは歌い継がれてきたソレム唱法ぐらいです。残されている記譜は今の5線譜が成立する前の定量記譜法の元になったネウマ譜です。
暗黒の時代と言われた中世は、戦争と飢餓・疫病の時代です。大衆が宗教に取り込まれていったのも理解できます。神にすがる以外に救いがなかった1千年間です。
その中世の大衆音楽は稚拙な辻音楽程度で、その後の音楽史の中に残るのは、唯一声楽でした。
単旋律・無伴奏・ラテン語、ネウマや定量記譜法で記録された「聖歌」です。権力者たちが宗教を利用したことから、宗教は優遇され、教会にだけは文化が存在しました。神聖ローマ皇帝ですら文盲で、コンラートⅡ世のサインは「丸書いてチョン」でした。
その教会内部の音楽が「無伴奏」だったことから、器楽は後の時代を待つことになります。
当時唯一の教養人だった聖職者による聖歌は、民族大移動の影響から民族・部族色、地方色の他に言葉も色々で百花繚乱の時代でした。
これを廃したのがローマ法王グレゴリウスⅠ世です。好き勝手に歌われていた聖歌を枠に入れて「グレゴリオ聖歌」としました。本部で決めた聖歌以外を禁止することによって組織分裂を食い止めたわけです。
「グレゴリオ聖歌」については前述ですからこのブログを検索して参照いただければ幸いです。
疲れたので続きは次回、後で文の整形をしておきますね。高崎守弘




