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ロマン派とハンガリー音楽

先ずロマン派の流れから生まれた「民族主義」についてです。

ウィーンならウィンナーワルツやウィーン民謡、フランスならシャンソン、スペインならフラメンコ、フィンランドのシベリウスはフィンランディア、モルダウの曲で知られるスメタナの「わが祖国」、ドボルザーク「新世界より」など等を生み出すことになります。

北アメリカではネイティブアメリカンの根絶やしにより文化の復興が遅れ、祖国を失った人々の定着を待ってジャズやミュージカルが起きるのを待つことになったようです。

余談ながら、ミュージカルがヒットラーから逃れたウィーンのユダヤ系オペレッタ作家の渡米の影響を受けたことはあまり知られてないようです。というか、この話題はタブーですね。

https://youtu.be/nZhY1KEKFbM
 

さて、上記のYouTubeはコダーイやバルトークが円筒式蓄音機で集めたハンガリー民族音楽よりも後の時代の聞きやすい収録を選びました。このような民族音楽の追求と研究もロマン派の流れからの影響と考えられます。

ヨーロッパ唯一のアジア民族とも言えるマジャール民族は、ルネサンス時代のマーチャーシュ王の頃を最後に、民族自治を失ってしまい、19世紀後半のロマン派時代はウィーンを本拠地とするハプスブルク家の統治が続いてました。

もちろんドージャ(1470-1514)やラコッツィ(1676-1735)、コシュート(1802-1894)による民族独立の動きもありましたが、ハプスブルク支配の壁は厚く、弾圧と鎮圧の繰り返しでした。

 

ハンガリー建国は7つの部族を率いてきたアルパードによるとされています。896年のことですから日本は平安時代でした。民族統一は1000年頃のことで、キリスト教改宗でパッサウのシュテファン寺院で洗礼を受け、シュテファンと名乗るようになったイシュトヴァン王によります。

ハンガリー画家ムンカーチ「荒野の嵐1867」

マジャール族がアジアからの移動民族だったことは、蒙古斑だけでなく言語学においても証明されてます。

アブミを使って馬を操ることのできたマジャール騎馬軍団はレヒフェルトの戦い(955)でドイツのオットー大帝に敗れるまで無敵で、ドイツからオランダ方向、さらにパリ(シテ島時代)を滅ぼし、ローマを蹂躙したことは、それぞれの国の歴史であまり触れたくない事実らしいです。ウィーンにハプスブルクが君臨する数百年前のことでした。

当時、ヨーロッパ人がマジャールを見たときには殺され滅ぼされたことから、ヨーロッパ史ではゲルマン民族同様に野蛮な民族として扱われることが多いようです。

当初はどこの誰か分からなかったことから、黒海の北、現在のウクライナあたりの勇猛果敢な「10本の矢」と言われた民族だと考えられたそうです。

マジャールを10本の矢、つまりオン・オグール ⇒ オノグル ⇒ ウンガル、そしてハンガリと呼ぶようになったことは、歴史学者には良く知られた話のようです。 

19世紀後半のハンガリー画家ムンカーチ
ハンガリー平野のマジャール民族。ムンカチの絵

音楽においてもロマン派の民族主義の影響からハンガリー民族音楽についての本格的な研究が始まります。もちろんバルトークとコダーイです。ちょうど円筒式蓄音機の発明もあり、今ではYouTubeでも聞くことができます。

ハンガリーにはエジプシャンと言われたジプシー民族がヨーロッパで一番多いことから、ハンガリー民衆音楽にはジプシー音楽の影響が見られます。ジプシーは(さ迷い歩く)ウォーカー、ドイツ語なら(ヴァルカー)ワルカー等と呼ばれ、手先の器用さを活かしたミュージシャンや鍛冶屋や手工芸職人が多く居たことも知られてます。

ジプシーは、日本で包丁研ぎが村々を回って来るのを待ったのと同じように、ヨーロッパでも重宝されていたようです。特に領主たちにとっては日々の生活に小さな楽しみをもたらした軽業師やミュージシャン、それから刀鍛冶は権力の維持に必須でした。これが弱小民族のジプシーが存続した理由だったと考えられます。

ロマン派時代にはアジアの異国情緒を求めた結果、ウィーンで活躍し楽友協会の理事を務めたブラームスの「ハンガリー舞曲」だけでなく、ヨーロッパに定住したほぼ唯一のアジア系民族ハンガリー音楽に注目が集まります。

ハンガリー平原の井戸(マルコー・カーロイ1858)

ギターにもハンガリー風の練習曲が見られますが、農耕民族には見られない騎馬民族の3拍子であったり、3千キロもの距離を流れるドナウ川を挟んで広がるヨーロッパ最大のハンガリー平野地帯、大平原や少平原を移動するマジャール族気質が感じられるのは興味深いです。

ロマン派の影響ですから、馬で移動する人々の三角テントでの生活、ハンガリーのパンノニア気候は温暖で乾燥した風、その熱風対策と乗馬の都合から男も長いスカート、その白いスカートにはハンガリーの鮮やかな民族刺繍が施され、地平線の彼方まで平野が広がる景色の中で口ずさみ、かがり火を囲んで楽しんだのがハンガリー音楽の源泉です。

高崎守弘

ギター表面版の材質

ギターの表面版に使われるのはシダーかスプルースのどちらかです。便宜上シダーを杉、それに対してスプルースを松と呼ぶこともあります。

安価な楽器は全てシダーですが必ずしも音が悪いというわけではありません。シダーはスプルースよりも成長が早いので木材価格が安いだけです。鳴りが悪いのは制作コストを抑えている楽器が多いためでしょう。スプルースは最低価格帯のギターには見られないようです。鳴りの良いギターはどちらの材質でも制作可能で、良いものは良いです。


◆ Ceder/シダー

「シダー」というと「スギ」と訳されがちですが、ギターでよく使用されるのは「ウエスタンレッドシダー/western red cedar」でヒノキ科ネズコ属(クロベ属)の樹木をさします。

しかし、ヒノキ科にはその他に「スギ属」や「ヒノキ属」などもあり、これらも「シダー」と呼ばれますが、ギターに使われるのは「ネズコ属」です。日本のスギはスギ科スギ属で Japanese Cedar と呼ばれることから、Cedar=杉と混同され勝ちです。

多くのギターは表面版にシダーが使われます。スプルースの反応が遅いわけではありませんが、どちらかと言えば柔らかめの木材が撥弦反応の良さに影響しているように感じます。高性能LED懐中電灯で100m先をスポットで照らすような音質がスプルース、同じ高性能LED懐中電灯でも遠くを照射するのではなく広い範囲を照らすのがシダーというイメージです。

しっかりと作られてないシダー楽器が空虚なポコポコとした響きになったら寿命なのかも知れません。シダーの楽器を選ぶときは、作りのしっかりとした楽器の方が個人的にはお薦めです。

【科】 ヒノキ
【属】 ネズコ
【種類】 針葉樹
【別名】 ウエスタンレッドシダー
【産地】 ロッキー山脈北部、太平洋岸北西部
【気乾比重】 0.38
【強度】 2

 

◆ スプルース/Spruce

スプルースは北米からヨーロッパ、日本にも分布しています。色はシダーに比べて白っぽい見た目が特徴で、木目も淡い印象のものが多く見られます。ピアノの響板、バイオリンなどなど、ギター以外の楽器にも多く使用されてます。

スプルースには産地によって様々な名称が付けられます。

ギターでSpruceと言えば、ほとんどが北米、特にアラスカから南カリフォルニアに分布する「シトカ・スプルース」でしょう。この呼び名はアラスカのシトカ市に由来します。

スプルースは、シトカ・スプルースの他に少し軟質な北西アメリカ産の「イングルマン・スプルース」、それから、アメリカ北東部に分布し、戦前のアメリカ製ギターに使用されていたアディロンダック・スプルース(パワフルでクリアなサウンド傾向)など、ギターで使用されるスプルースは多岐にわたります。

スプルースは松と言われるだけあって、シダーのように真っ直ぐな木目の物ばかりではないようです。シダーよりも松脂が多く含まれ、木材の粘りと重さから鳴り難かったり、音の立ち上がりがシダーのように軽快では無いときもあります。

しっかりとしたタッチで鳴らさないと楽器からの音離れが悪いので、低温から高音までのバランスを自分でコントロールできないとスプルースの良さが発揮できないようです。つまり、制御されたタッチが身についているか、そうでなければ、楽器に教えられて身につけることになるのだろうと感じてます。

シダーが最初から軽快に響くのに比べて、スプルースの新作は音がこもるときが多いので、音を自分で作ってゆく必要があると感じてます。しかし良い楽器は最初から高音の音離れが良いことから購入時の判断基準になります。低音は時間とともに鳴り方が軽くなり楽器からの音離れも良くなる傾向が強いです。

【科】 マツ
【属】 トウヒ
【種類】 常緑針葉樹
【別名】 トウヒ
【産地】 北米、ヨーロッパ、日本
【気乾比重】 0.35~0.4
【強度】 3

TAKAMINEギター

高峰ギターは1959年に岐阜県坂下町でアコースティック楽器の工房を開いたことに始まり、50年代から60年代中盤にはブームに乗ってクラシックギターも多く製作していました。

木工業の盛んな坂下町での製作は順調でしたが、当時は委託生産が多く、1970年代半ばにようやく自社ブランドの「Takamine」を確立し、高峰ギターが海外向けに本格的に輸出されることになりました。海外、特にブラジルでのタカミネ人気の始まりです。

その後はアコースティックギターやピックアップギターの老舗として順調に成長し、世界的に人気が高まり、現在に至っています。

タカミネブランドの初期に設計されたクラシックギターのシリーズは、No.20、No.30(1981)、No.40(1983)、No.5、No.6、No.8、その他に注文生産で10号、15号、20号がありました。

安価なNo.30でもタカミネブランドのギターにふさわしい材料と丁寧な仕上がりで、初級から中級者向けのギターとして人気があります。

また、タカミネは河野賢氏の低価格ブランドとして販売されたアランフェスギターの製作を担当したことから、河野ギターとの類似性が多く見受けられます。   

材質はNo.20、30、40、6が表面版にシダー、No.8がスプルース、注文生産の10号、15号、20号は杉か松の選択。指板はNo.5、6、8が黒檀ですが、No.5でネックにトラストロッドが入っているものは紫檀、そして全シリーズ共通で、横と裏板、下駒がにローズウッド、ネックにマホガニーが使用され、他社と比べて良い材料が使われてます。

河野ギター同様にガッチリとした作りで、海外の乾燥した気候でも安心です。その分、初心者には鳴らすのが難しく感じたり、楽器を育てる必要もあります。高音と低音がバランスよく響き、同じ値段の他の邦人作家と比べて音離れの良さがずば抜けてます。

残念ながらクラシックギターの生産は2010年頃が最後で現在は中古販売のみです。

1980年代のカタログは以下。窓's10or11+FireFox環境の場合は、画像上で右クリックから「画像を新しいタブで開く」で拡大画像が見られます。

生産終了の頃のカタログは以下。窓's10or11+FireFox環境の場合は、画像上で右クリックから「画像を新しいタブで開く」で拡大画像が見られます。

車中のギター放置

ギター制作の接着剤には湯煎で溶かしたニカワが使われることが知られてます。

しかし、安価な量産ギターは扱いが楽なシロボンドと言われる木工用ボンドなどが使われてます。これは、熱可逆性の木工ボンドと異なり熱硬化性の接着剤です。加熱しても剥がれません。

つまり、楽器に熱可逆性のホットメルトのボンドやニカワが使われるのは、再加熱での修理を可能にするためです。

ニカワは摂氏50度ぐらいを5分間程度維持すると、徐々に溶解が始まり、60度くらいから接着力が低下するようです。

さて、最近は車社会になり、近所への買い物も車が使われてます。

快晴時に車のボンネットで目玉焼きが焼けるのはよく知られた話ですが、卵の硬化温度は摂氏60度ぐらいからだそうです。

要するに、ギターを炎天下の車中に5分程度放置すると、分解の危険が生まれるという話でした。経験者の話によると全てのパーツがキレイにバラバラになるそうです。

カーエアコンが効いていれば話が別ですが、炎天下の車中にギターを放置するのは避けましょう。注)エアコンでの乾燥にも注意!

それからギターの乾燥対策には様々な加湿器具があります。ギターは同じ弦楽器でもバイオリン属と異なり、表面版に膨らみの湾曲がないので、表面板が乾燥し収縮すると直ぐに割れてしまいます。表面版の共振性能が失われ、演奏音域により雑音が入ったりします。そのため、エアコンを点けている部屋には加湿器と湿度計があると安心です。

それでは、みなさま良い夏をお過ごしくださいませ。

エミリオ・プジョール

リョベートと共にタレガの高弟として名高いエミリオ・プジョールの紹介です。

 

この2重奏曲はセゴビアの教えを受けた2大巨匠ブリームとジョンの名演が知られてますが、どうやらプジョールの方が一枚上手なようですね。一瞬、いったい何人で弾いているのだろうかと混乱しますが、2人です。超絶技巧だと思いませんか?

他楽器やオーケストラも含めてこのプジョールの名演を凌ぐ演奏は未だ知りません。

グレゴリオ聖歌

グレゴリオ聖歌の特徴は「無伴奏」「単旋律」「ラテン語」です。飾りっ気の有無以前に、華やかさとは無縁の存在です。

グレゴリオ聖歌発生時の西ヨーロッパは、巨大建築なら東ヨーロッパビザンチン帝国繁栄の裏付けとも言える大きな丸い天井を支えるペンデンティブ (Pendentive)ドームによるギリシア十字様式を含む中央集中型が主流でした。

その他の多くの建造物は、元々ヨーロッパに広がっていた原生林の開墾で入手した木材で天井を形成した長方形の建造物でした。

ヨーロッパにおける原生林の開墾は、もっぱらベネディクト派やシトー派に代表される修道会の布教活動を伴った動きによります。

発生当初のグレゴリオ聖歌は、巨大な石像空間が珍しかったことを想像すると、せいぜい数十メートル規模の空間に響くことが多かったことが想像されます。

後に生まれるロマネスク建築やゴシック建築のような巨大な石造建築とは空間の大きさも音の響きも異なる環境でした。

石灰岩を積み上げた左右の壁の上に梁を乗せ、その上に木造の天井と屋根を構築した建造物です。または、フランスなどではグレゴリオ聖歌にガリアつまりケルト音楽の影響が残っていることから壁と天井共が木造だった可能性もあります。

 

1億年ほど前に海中から隆起して生まれたのが現在のヨーロッパ大陸ですから「ヨーロッパは石灰のプレートの上に乗っている」という表現は言い得て妙です。

海洋プレートが沈降しマリアナ海溝が生まれたのと同じような動きですが、ヨーロッパの方は下に潜り込むのではなく隆起したわけです。これをアルプス造山運動と言うそうです。そのため、今でも隆起しているイタリア半島の南部には活火山があり、度々地震に見舞われます。情け容赦のない、しかし、どのような毬よりも美しい地球の息遣いの姿です。

https://youtu.be/Mo8upbtGKNk

グレゴリオ聖歌は、長年ローマ法皇グレゴリウス1世が編纂したとされ、呼び名にもなってましたが、最近は、カロリング朝時代に成立という学説も出てます。いずれにせよ、グレゴリオ聖歌が西洋音楽の源泉であることに異を唱える学者は居ないと思います。

それ以前は祈祷時に鳴らされた単純な音、世界最長の歴史文化を持つ日本なら、たとえば銅鐸を鳴らしたり鈴を鳴らしたり笛を吹いたり、唸ったり程度で西洋でも似たりよったりだった筈です。もちろん、そのようなものが芸術音楽としての西洋音楽に繋がるかどうかについては、疑問があると思ってます。

そうでなければ、ターザンの叫び声のような、いわゆる信号音としてのヨーデル程度でしょう。ちなみに車の騒音の無かった古代ローマ時代はヨーデル信号で数キロの距離を連絡していたようです。その他には狼煙とか、大きな鏡で丘から丘へのチカチカ信号だったそうです。「ゲルマン人が攻めてきたぞー♪」ってな感じだったと思われます。

西洋社会、西ローマ帝国の国境には数キロごとに砦が置かれてました。ゲルマン民族との境は2本の大河で、縦軸はライン川、横軸はドナウ川でした。

グレゴリオ聖歌には長調と短調の元になった教会旋法が使われており、現在の五線譜の前身4線譜のネウマ譜で記されてます。

https://cloudhymnal.org/view/781/kyrie-mass-ix-cum-jubilo

個人的には、グレゴリオ聖歌は、歴史と様式つまり時代背景を思うと、飾りっ気の無いソレム修道院の「ソレム唱法」がふさわしいと感じてます。指揮も手のひらをユラユラと舞わせると塩梅が良いようです。

高崎守弘

楽譜用の紙と記入鉛筆

楽譜の印刷は、厚みがあり鉛筆記入や消しゴムとの相性の良いものを使用します。

厚さ 紙のタイプ
0.15mm~0.20mm 模造紙
0.20mm~0.22mm 官製はがき
0.21mm~0.25mm 電車の切符
0.26mm~0.30mm 表彰状
0.31mm~0.35mm 名刺
0.36mm~0.40mm 一般的な封筒
0.41mm~0.45mm ティッシュの箱
0.46mm~0.50mm ファイルの表紙
1.00mm コースター
2.00mm 免許証
2.50mm ダンボール

アマゾンで探したところ、紙厚0.15mmで用途に楽譜用と記された紙が見つかりました: https://amzn.to/41t8ZMT、紙厚0.18mmもありますね:https://amzn.to/3Mi6Q1d

なお、プリンターが厚紙印刷に対応している必要がありますが、近年の一般的なプリンターなら1.2mmの厚みまで対応しているはずです。印刷設定に希望の厚紙設定項目が無いときは紙質を年賀状(通常0.22mm厚み)に設定します。

給紙ミスがないようにセットする前に紙をさばいておき、紙詰まりは力任せに引っ張るとプリンターが壊れるので、一旦電源を切り、慎重にゆっくりと詰まった紙を引き抜きます。

インクはカラー色カートリッジ使用を「off」で、黒インクのみの使用設定。高速印刷ではなく印刷速度の設定をゆっくりにします。

それから、
楽譜への記入は2B程度の柔らかめの鉛筆を使用します。ヨーロッパでは画材鉛筆でなめらかに書くことのできる鉛筆があるのですが、日本では値段が張るためか、見つかりませんでした。アマゾンで探したところ、三菱鉛筆に2Bが見つかりました。https://amzn.to/44Vasi4
 楽譜用の鉛筆は、先の形状の都合からナイフで削るのですが、芯はなるべく削らないように剥き出しにして芯先を丸く削ります。

ページ数の多い楽譜は定番のキングジム クリアファイル カキコ A4 縦にファイリングすれば、ページを広げたままで楽譜に記入ができ、ページ数ボリュームにより40ページと20ページ、それから数種類の表紙色から選ぶことができます。

アルゼンチン・タンゴ

今回は南米アルゼンチンの音楽です。

2021年の生誕百年でギターとフルートの定番のごとく演奏されたピアソラの「タンゴの歴史」について調べてみました。

 

曲や作曲家の前に、先ずはアルゼンチン・タンゴからです。

https://www.youtube.com/watch?v=3Z5qEKxfmm8

 

上記の動画で演奏されているアコーデオンのような楽器は「バンドネオン」と呼ぶのだそうです。鍵盤配列が複雑なことから「悪魔の楽器」と言われるほど習得が難しい楽器だそうです。

バンドネオンはリズムに特徴があるタンゴにはが欠かせない存在として知られており、楽器を太腿の上に置き、左右のボタン鍵盤を押下し、両手でじゃばらを広げながら、踵の上下で歯切れの良い和音を奏でます。

バンドネオンの演奏表現における可能性 - ―楽器構造の視点から

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アコーデオンという楽器は、1829年にウィーンのダミアンによって発明されたとされてます。

さらに1835年頃にドイツのバンド氏がアコーデオンと似たリード楽器を開発し、自分の名にアコーディオンの「ion」を付け「バンドネオン」と名付けたそうです。

ドイツのバンドネオンが南米に伝わったのは、その直後19世紀後半のことだったそうです。

当時は国民音楽の時代で、日本なら山田耕筰、ウィーンならウィーン歌曲やウィンナワルツ、フランスのシャンソン、スペインのフラメンコなどがもてはやされる中で、アルゼンチンではバンドネオンの演奏でタンゴが流行ったようです。

南米はスペインの植民地としてヨーロッパ文化が浸透してゆきました。それでスペインの民族楽器として定着したギターも南米に伝わり、当初のタンゴはギターとフルートで演奏されることもよくあったそうです。

因みにヨーロッパのタンゴは「コンチネンタル・タンゴ」と呼ばれ区別されてます。

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https://www.alsoj.net/flute/magazine/view/955/3065.html

楽譜の出版によりレパートリーとして定着した「タンゴの歴史」は、ベルギーのフルーティスト「マーク・グローウェルズ」の演奏に接したピアソラが、彼のためにギターとフルートの組み合わせで、1900年から30年ごとのタンゴを4曲の組曲にしたものだそうです。

――マーク・グローウェルズ
「特に『タンゴの歴史』に関してですが……、初めてのリハーサルでピアソラ本人の前で演奏したとき、彼はいきなり演奏を止めて言い放ったのです。『そんなに楽譜どおりになんか演奏しないでくれ!』とね(笑)。―中略―ですからいつもそこから生まれるインスピレーションを大切にして、型にはまった演奏になってしまわないようにしています。曲の冒頭部分、ミラドミ~と上がった3オクターブ目のミを長く伸ばしたり、フラッターにしたりするのも、『売春街を取り締まる警察官のホイッスルの音』だとピアソラから聞いたからです。彼の曲はもっと自由に演奏されていいはずですよ」

 

以下は、https://www.sakimura.org/2017/01/3718/から:

ピアソラが十分な収入を得て、人生の中で初めて自分の好きな曲をかけるようになったのは1980年、59歳になってからでした。この年、彼は野心的な多楽章曲を書き始めます。その中の1曲が『タンゴの歴史』です。『タンゴの歴史』は、フルートとギターのための4楽章からなる曲で、楽章ごとに30年の間隔をおいて、タンゴがどのように変遷してきたかを表しています。ピアソラ自身がプログラム・ノートを提供しています。

◆ 第1楽章:1900年:売春宿 (Bordello, 1900)

このタンゴの原曲は1882年にブエノスアイレスで生まれました。原曲は、この「タンゴの歴史」全体がそうであるように、フルートとギターのためのものだったようです。音楽は優美さと活気に溢れ、フランス、イタリア、スペイン出身の売春婦たちが、彼女たちに会いに来る警官、泥棒、水夫、ろくでなしたちを誘惑しからかう様子を描いています。意気軒昂なタンゴです。初演のフルーティスト、M.グローウェルスによれば、冒頭のフレーズの4つ目の音(高音e)は売春宿の摘発の警官の呼笛の音だそうです。


◆ 第2楽章:1930年:カフェ(Café, 1930)

1930年には、人々は1900年のようにタンゴを踊るのをやめて、タンゴは踊る音楽から聴く音楽に変質していました。その結果、タンゴはより音楽的でよりロマンチックな音楽になっていました。これは完膚無きまでの変容でした。動きはゆっくりとして、新奇でメランコリックなハーモニーに溢れています。当時のタンゴオーケストラは、ヴァイオリン2台、コンサ2台、ピアノ、およびバスで編成され、時として歌手も加わることが有りました。


◆ 第3楽章:1960年:ナイトクラブ(Nightclub, 1960)

1960年代、国際的な人の交流は大変な勢いで増加していきました。タンゴもブラジルとアルゼンチンがブエノスアイレスで邂逅することによって、ボサノバと新タンゴが同じリズムを刻むようになり、大幅な変革の時を迎えます。新しいタンゴを聴きに、聴衆はナイトクラブに殺到しました。この時期は、タンゴの革命の時期であったともいえます。こうして、もともとのタンゴから現代タンゴは大きく変わっていったのです。


◆ 第4楽章:1990年:現代のコンサートホール(Concert d’aujourd’hui)

ここに至り、タンゴ音楽のコンセプトは、バルトーク、ストラビンスキー、その他の現代音楽と混じり合います。無調と調性が入り混じります。第1楽章のモチーフが使われています。「これは現在、そして将来のタンゴなのです(アストル・ピアソラ)」

 

指の腱と筋肉

  • 2023/03/05 19:15
  • カテゴリー:その他

手のアナトミーです。優秀な生徒さんに教えていただきました。以下2点の画像はリンクですからクリックするとグーグル検索結果サイトが開きます。

グーグル検索「マイナー外科・救急 解剖:手指の腱」

やはり母国語はわかりやすく、検索ワードの選択が楽です。薬指の屈伸についてわかりやすい説明もあります。ドイツ語のアナトミーでわからなかった長年の疑問が解け、新約聖書にあるように目からウロコが落ちます。

アルペジオーネ・ソナタ

ギターの伴奏でも良く弾かれるシューベルトのアルペジオーネ・ソナタです。チェロって良いですねー

https://www.youtube.com/watch?v=bkYlGWnw-qk

シューベルトがゲオルク・シュタウファー作のギターを所有し、ギターで作曲したことは良く知られてます。ピアノはあまり上手ではなかったらしいです。経済的な理由でピアノが手元に無いことが多かったと本で読んだ記憶があります。

19世紀初頭に生まれた6単弦ギター制作は、当初バイオリン製作家によって始められました。ウィーンのシュタウファーも例外ではありません。ギターの名器として知られているハウザー家も元々はバイオリン制作のメッカとして知られる南ドイツ・アルプスのミッテンヴァルト村でした。

アルペジオーネという楽器は、このシュタウファーにより生み出され、その後は歴史の中で忘れ去られた楽器です。

アルペジオーネの作品はこの曲以外には知られていないようです。シューベルトがこの楽器のためにソナタを作曲したのは、ギターと同じ弦数と調弦だったからでしょう。今ではチェロの貴重なレパートリーとして知られてます。因みに伴奏はピアノですが、シューベルトがこの曲を作曲するときに手にしていたのはギターであったはずです。これがシューベルトの多くの歌曲同様にアルペジオーネ・ソナタがチェロのギター伴奏で演奏される理由です。

シュタウファー作のアルペジオーネの本物は、新王宮の古楽器博物館に展示されてます。ウィーンのハプスブルク王宮の一番大きなウィングで入り口は英雄広場です。この古楽器博物館にはシュタウファーのギターやウィンナーメカニックのピアノ等なども展示されてます。楽器博物館としては世界一でしょう。

音高や音大の研修旅行ではベートーベンやモーツアルト記念館などの音楽家記念館に行くことが多いようですが、個人的には Haus of Music博物館や古楽器博物館がお奨めです。実際に自分の学校の生徒達だけでなく、日本から来た音高や音大の研修旅行で頼まれて説明することもよくありました。

なお、オーストリアの博物館や美術館で講習や説明をするときはオーストリア共和国の行政の許可が必要です。刑法ですから警察の管轄で罰金は日本円で百万円弱ですし7年間EUに入国ができなくなります。日本の学校の先生が案内をするときは旅行会社に事前に相談しましょう。

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