リズムの不思議
- 2026/10/07 18:56
- カテゴリー:音楽芸術
ほとんどの西洋音楽は演奏によって拍を刻むわけですが、幼児にリトミック遊びを楽しませるのと同じで、最初から「休符」の刻みができる人は滅多に居ないのではないかと思います。
ですから、西洋音楽の教育者は、音楽の早期教育で花伝書が参考になるのと同様に、表面的な把握で構わないので、コダーイシステムは知っていた方が良いと感じてます。
さて今回の本題「休符」ですね。
無を数えたくても、そもそも無いものを数えることはできない。これがネックです。
ですが、ちょっとした訓練で直ぐに休符のカウントができるようになります。休符のカウントという一つのハードルを越えれば、演奏を続ける間に、休符が休みなのではなく「緊張のカウント」だと気付けばリズムに命を吹き込むことができると思います。
上記の動画は感性の無い無機質なカウントです。言わば拍のカウントの最初の一歩です。再現芸術で最も大切なことは、システィーナ礼拝堂の壁一面にある絵画の中で一番よく知られている「神がアダムに命の祝福をする瞬間」と同じく、無機質な泊の刻みに命を吹き込むことです。

つまり、実は休符に音楽が、そして芸術が存在するから休符を数えることができるわけです。
「休符に音楽がある」とは言いえて妙だと思います。
物質には有機物(有機化合物)と無機物(無機化合物)がありますね。今では炭素云々とされてますが、もともと有機物は「生体が産出する(=生物がつくりだす)化学物質である」と定義されていました。休符の認識もこれに似たようなものではないかと思います。
リズムに戻りましょう。
休符に音楽が存在する。この発想は、音を出す音符と同様に音を出さない休符が、実は無機物ではなく有機物だったことの確認から来てます。
機械的に休符を数える音列を聴いたとき、そこに感性が生まれるわけですね。つまり、実際に鳴っている音をどのように理解するかです。それに様式が影響してバロックだったらやり過ぎくらいに拡大したり、次の古典派になるとをれを理路整然とした音の並びとして提示するわけです。
理解できる人にとっては当たり前のことでも、理解を超えてしまうと価値を見落とします。「無知の知」は人にとって永遠の課題なのかもしれません。




