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2023年03月21日の記事は以下のとおりです。

アルゼンチン・タンゴ

今回は南米アルゼンチンの音楽です。

2021年の生誕百年でギターとフルートの定番のごとく演奏されたピアソラの「タンゴの歴史」について調べてみました。

 

曲や作曲家の前に、先ずはアルゼンチン・タンゴからです。

https://www.youtube.com/watch?v=3Z5qEKxfmm8

 

上記の動画で演奏されているアコーデオンのような楽器は「バンドネオン」と呼ぶのだそうです。鍵盤配列が複雑なことから「悪魔の楽器」と言われるほど習得が難しい楽器だそうです。

バンドネオンはリズムに特徴があるタンゴにはが欠かせない存在として知られており、楽器を太腿の上に置き、左右のボタン鍵盤を押下し、両手でじゃばらを広げながら、踵の上下で歯切れの良い和音を奏でます。

バンドネオンの演奏表現における可能性 - ―楽器構造の視点から

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アコーデオンという楽器は、1829年にウィーンのダミアンによって発明されたとされてます。

さらに1835年頃にドイツのバンド氏がアコーデオンと似たリード楽器を開発し、自分の名にアコーディオンの「ion」を付け「バンドネオン」と名付けたそうです。

ドイツのバンドネオンが南米に伝わったのは、その直後19世紀後半のことだったそうです。

当時は国民音楽の時代で、日本なら山田耕筰、ウィーンならウィーン歌曲やウィンナワルツ、フランスのシャンソン、スペインのフラメンコなどがもてはやされる中で、アルゼンチンではバンドネオンの演奏でタンゴが流行ったようです。

南米はスペインの植民地としてヨーロッパ文化が浸透してゆきました。それでスペインの民族楽器として定着したギターも南米に伝わり、当初のタンゴはギターとフルートで演奏されることもよくあったそうです。

因みにヨーロッパのタンゴは「コンチネンタル・タンゴ」と呼ばれ区別されてます。

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https://www.alsoj.net/flute/magazine/view/955/3065.html

楽譜の出版によりレパートリーとして定着した「タンゴの歴史」は、ベルギーのフルーティスト「マーク・グローウェルズ」の演奏に接したピアソラが、彼のためにギターとフルートの組み合わせで、1900年から30年ごとのタンゴを4曲の組曲にしたものだそうです。

――マーク・グローウェルズ
「特に『タンゴの歴史』に関してですが……、初めてのリハーサルでピアソラ本人の前で演奏したとき、彼はいきなり演奏を止めて言い放ったのです。『そんなに楽譜どおりになんか演奏しないでくれ!』とね(笑)。―中略―ですからいつもそこから生まれるインスピレーションを大切にして、型にはまった演奏になってしまわないようにしています。曲の冒頭部分、ミラドミ~と上がった3オクターブ目のミを長く伸ばしたり、フラッターにしたりするのも、『売春街を取り締まる警察官のホイッスルの音』だとピアソラから聞いたからです。彼の曲はもっと自由に演奏されていいはずですよ」

 

以下は、https://www.sakimura.org/2017/01/3718/から:

ピアソラが十分な収入を得て、人生の中で初めて自分の好きな曲をかけるようになったのは1980年、59歳になってからでした。この年、彼は野心的な多楽章曲を書き始めます。その中の1曲が『タンゴの歴史』です。『タンゴの歴史』は、フルートとギターのための4楽章からなる曲で、楽章ごとに30年の間隔をおいて、タンゴがどのように変遷してきたかを表しています。ピアソラ自身がプログラム・ノートを提供しています。

◆ 第1楽章:1900年:売春宿 (Bordello, 1900)

このタンゴの原曲は1882年にブエノスアイレスで生まれました。原曲は、この「タンゴの歴史」全体がそうであるように、フルートとギターのためのものだったようです。音楽は優美さと活気に溢れ、フランス、イタリア、スペイン出身の売春婦たちが、彼女たちに会いに来る警官、泥棒、水夫、ろくでなしたちを誘惑しからかう様子を描いています。意気軒昂なタンゴです。初演のフルーティスト、M.グローウェルスによれば、冒頭のフレーズの4つ目の音(高音e)は売春宿の摘発の警官の呼笛の音だそうです。


◆ 第2楽章:1930年:カフェ(Café, 1930)

1930年には、人々は1900年のようにタンゴを踊るのをやめて、タンゴは踊る音楽から聴く音楽に変質していました。その結果、タンゴはより音楽的でよりロマンチックな音楽になっていました。これは完膚無きまでの変容でした。動きはゆっくりとして、新奇でメランコリックなハーモニーに溢れています。当時のタンゴオーケストラは、ヴァイオリン2台、コンサ2台、ピアノ、およびバスで編成され、時として歌手も加わることが有りました。


◆ 第3楽章:1960年:ナイトクラブ(Nightclub, 1960)

1960年代、国際的な人の交流は大変な勢いで増加していきました。タンゴもブラジルとアルゼンチンがブエノスアイレスで邂逅することによって、ボサノバと新タンゴが同じリズムを刻むようになり、大幅な変革の時を迎えます。新しいタンゴを聴きに、聴衆はナイトクラブに殺到しました。この時期は、タンゴの革命の時期であったともいえます。こうして、もともとのタンゴから現代タンゴは大きく変わっていったのです。


◆ 第4楽章:1990年:現代のコンサートホール(Concert d’aujourd’hui)

ここに至り、タンゴ音楽のコンセプトは、バルトーク、ストラビンスキー、その他の現代音楽と混じり合います。無調と調性が入り混じります。第1楽章のモチーフが使われています。「これは現在、そして将来のタンゴなのです(アストル・ピアソラ)」

 

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